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共働き家庭の「タイパ」信仰は危険?効率の先に潜む「見えない疲弊」の正体

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「タイパ」を疑う、はじめの一歩

タイパ、タイパって、共働き家庭ではもう合言葉みたいになってるよね。時間対効果を最大化して、いかに効率よく家事を終わらせるか、いかに自分の時間を捻出するか。私も、効率至上主義だった時期があるからわかるんだけど、それこそが現代を生き抜く術だって信じて疑わなかった。

でもさ、本当にそうなのかな?

あらゆることを効率化した先に、本当に欲しかった「ゆとり」や「心の豊かさ」って、手に入ってる? むしろ、見えないところで何か大切なものをすり減らしてるんじゃないかって、最近すごく思うの。今日は、共働き家庭が陥りがちな「タイパの落とし穴」について、ちょっと深掘りして考えてみない?

タイパが招く「心のデフレ」

タイパ、タイパって追い求めた先に、私たち共働き家庭が本当に欲しかったものって何だったんだろう? 時間を増やしたくて、効率化したくて、色々なものを導入したり、生活習慣を変えたりする。でも、その結果として、何か大切なものがすり減っていくような感覚、ない? 最近、色々な人に話を聞いていて、そんな「見えない疲弊」が、実は多くの共働き家庭に忍び寄っているんじゃないかって思うんだ。まるで、経済のデフレみたいに、心の豊かさや人間関係の質が、気づかないうちにどんどん目減りしていく。

「時短」が奪った、夫婦の何気ない会話

たとえば、都内でIT企業に勤める佐藤さん夫婦(30代後半、子ども2人)のエピソードは、すごく象徴的だった。彼らは共働きで、朝から晩まで分刻みのスケジュール。だから、家事の効率化には並々ならぬ情熱を注いでいたんだって。食洗機、乾燥機付き洗濯機、ロボット掃除機はもちろんのこと、料理はミールキットをフル活用、週末は外食かデリバリー。とにかく「時短」と名のつくものは何でも取り入れていたらしい。

「最初はね、本当に楽になったんですよ。食後の洗い物も、洗濯物を干す手間も、掃除も、全部自動化。料理もパパッと完成するから、心にゆとりができた!って思ってました」と、奥さんの美咲さんは話してくれた。

でも、数ヶ月経った頃から、夫婦の間に妙なすれ違いが生まれ始めたんだって。以前は、夫の健太さんと一緒にキッチンに立って、その日の出来事を話しながら夕食の準備をしたり、洗濯物を畳みながら子どもの進路について相談したりする時間が、自然とあったらしい。それが、効率化が進むにつれて、そういう「何気ない時間」が、まるっきり消え去ってしまった。

「食洗機が洗い物をしている間、私はスマホを見て、夫はテレビ。ミールキットは簡単だけど、二人でレシピを見ながら『これ、次はこうしてみようか』なんて相談する楽しみもなくなった。効率化で生まれたはずの時間は、結局それぞれが別のことをする時間になってしまって。気づけば、夫婦の会話って、子どもの習い事の送迎とか、ゴミ出しの確認とか、業務連絡ばっかりになってたんです」

美咲さんの言葉には、少し寂しさが滲んでいた。健太さんも、「効率化は正義だと思ってたけど、妻との距離が遠くなった気がする。家事は楽になったけど、心は満たされてないというか…」と、戸惑いを隠せない様子だった。タイパを追求した結果、物理的な手間は減ったけれど、夫婦の心の交流という、もっと大切なものが削ぎ落とされてしまったんだ。

完璧な「段取り」が、子どもの笑顔を消した日

次に話を聞いたのは、フリーランスで働く山田さん(40代前半、子ども1人)のこと。彼女は、仕事と育児を両立するために、毎日のスケジュールを分刻みで管理する「段取りのプロ」だった。朝食から登園、仕事、夕食、入浴、寝かしつけまで、全てを効率化し、計画通りにこなすことに完璧を期していた。

「朝は6時に起きて、子どもの朝食準備と自分の身支度。7時半には家を出て、保育園に送ってからオフィスへ。仕事も休憩時間をきっちり決め、定時で切り上げてお迎え。帰宅したらすぐに夕食、お風呂、絵本を読んで9時には就寝。そうしないと、自分の仕事時間も、子どもの睡眠時間も確保できないと思っていました」と、真由美さんは語る。

そんな完璧主義の彼女にとって、何よりもストレスだったのは、子どもの「予定外の行動」だったらしい。子どもが公園で遊びたがったり、お店で駄々をこねたり、食事に時間がかかったり…。そのたびに、真由美さんの心の中では、次の予定が崩れることへの焦りと、イライラが募っていったそうだ。

ある日のこと、保育園のお迎え後、娘のさくらちゃん(4歳)が、いつもの公園で「ママ、ブランコ乗りたい!」と目を輝かせた。でも、真由美さんの頭の中には、夕食の準備、お風呂、寝かしつけの完璧な段取りがよぎる。

「ごめんね、さくら。今日は時間がないから、また今度ね」

そう言って手を引こうとした瞬間、さくらちゃんは地面に座り込み、「やだ!ブランコ乗りたい!」と大声で泣き出してしまった。その時、真由美さんはハッとしたんだって。自分の完璧な段取りは、さくらちゃんの「今この瞬間、遊びたい」という純粋な気持ちを、完全に無視していたことに。

「あの時、私が見ていたのは、時計の針とTODOリストだけでした。さくらのキラキラした瞳や、心からの願いを、効率化の名のもとに踏みにじってしまった。その時、初めて気づいたんです。効率化って、子どもの成長に必要な『寄り道』や『無駄な時間』まで奪ってしまうんだなって」

真由美さんは、その日以来、完璧な段取りを少し手放し、子どもの「今」を優先する時間も意識的に作るようにしたそうだ。効率化の先にあったのは、子どもの笑顔ではなく、親子の心のすれ違いだった。

「効率主義」が、自分を追い詰めるループ

共働き家庭の「タイパ信仰」は、夫婦関係や親子関係だけでなく、自分自身をも追い詰めることがある。メーカー勤務の鈴木さん(30代後半、子ども1人)は、まさにその渦中にいた。彼と奥さんは、家事分担を完璧に決め、お互いのタスクを効率よくこなすことに全力を注いでいたんだ。

「朝は妻が子どもの準備をして、私が朝食の片付けとゴミ出し。夜は私が子どもをお風呂に入れて、妻が夕食の準備。週末は私がまとめて買い物に行き、妻が作り置きを作る。全部、時間と役割を細かく決めて、お互いに負担がかからないように配慮したつもりでした」

しかし、鈴木さんは、この「完璧な効率主義」が、いつしか自分自身を縛り付ける鎖になっていることに気づいたという。例えば、仕事が忙しくて、いつもより帰宅が遅れてしまった日。子どもをお風呂に入れる時間が少しでも遅れると、「妻の夕食準備の邪魔をしてしまう」「自分の役割を果たせていない」と、強烈な自己嫌悪に陥るようになった。

「たった数分の遅れなのに、まるで自分がとんでもない失敗をしたかのように感じてしまうんです。常に時間に追われている感覚で、リラックスできる瞬間がない。休日も、何か効率よくタスクをこなさなきゃ、と焦ってばかりで、心から休めている気がしなかった」

彼は、何のために効率化を追求していたのか、その目的を見失っていた。家事や育児を効率よくこなすこと自体が目的となり、その先の「心穏やかに過ごす時間」や「家族との豊かな時間」が、かえって遠のいてしまっていたのだ。

「効率化で生まれたはずの『自分の時間』も、結局は疲弊しきって、ソファでぼーっとスマホを眺めるだけで終わる。何か新しいことを始める気力もないし、趣味に打ち込む集中力もない。これって、本当に『タイパが良い』って言えるのかなって、最近すごく疑問に思うんです」

鈴木さんの言葉は、効率化の罠に陥った多くの共働き家庭の姿を映し出しているようだった。タイパを追い求めた結果、私たちは、自分自身の心まで「効率」という名の檻に閉じ込めてしまっているのかもしれない。

「タイパ」を手放す、その先へ

ここまで、共働き家庭がタイパを追い求めた結果、どんな「見えない疲弊」に陥る可能性があるのか、いくつかのエピソードを交えて話してきた。夫婦の会話が業務連絡だけになったり、子どもの純粋な願いを無視してしまったり、自分自身が効率という名のプレッシャーに潰されそうになったり。

タイパ自体が悪いわけじゃない。便利なツールやサービスを賢く使うのは、現代社会を生き抜く上で必要なスキルでもある。でも、その「効率化」の先に、本当に私たちが求めていた「心のゆとり」や「家族の笑顔」はあったんだろうか? もしかしたら、私たちは目的と手段を履き違えてしまっているのかもしれない。

「無駄」に宿る、本当の豊かさ

私はね、効率化を極めた先にあるのは、必ずしも幸福ではないんじゃないかって思うんだ。むしろ、一見「無駄」に見える時間や行動の中にこそ、人間らしい豊かさや、心の充足が隠されているんじゃないかって。

例えば、ミールキットでパパッと済ませる夕食もいいけれど、たまには夫婦でレシピを広げて、ちょっと手間のかかる料理に挑戦してみる。焦げ付かせたり、味が決まらなかったりするかもしれない。でも、一緒に笑いながら、ああでもないこうでもないって言い合う時間って、何物にも代えがたい「夫婦の時間」になる。食洗機に任せず、あえて二人で洗い物をしながら、今日あった出来事を話す。たった10分のことかもしれないけど、そういう「非効率な時間」が、心の距離を縮めるんだ。

子育てだってそう。公園で子どもが「あと5分!」って言った時、次の予定を優先して「ダメ!」って言ってしまうのではなく、たまにはその「5分」を許してあげる。寄り道をして、虫を観察したり、石ころを拾ったり。それは、親にとっては「予定外」で「無駄」に思える時間かもしれない。でも、子どもにとっては、世界を発見する大切な時間だし、親子の絆を深める「かけがえのない時間」になる。完璧な段取りを少し手放して、子どもの「今」に寄り添う勇気を持つことで、私たち親の心にも、予想もしなかった温かさが広がることがある。

そして、自分自身に対しても。常に「何かを効率よくこなさなきゃ」というプレッシャーから少し離れてみる。タイパで生まれたはずの時間を、ただソファでぼーっと過ごす日があってもいい。スマホを置いて、好きな本をゆっくり読む。お気に入りの音楽を聴きながら、何も考えずにコーヒーを飲む。それは「生産性がない」時間かもしれないけど、心には確実に栄養を与えてくれる。

効率を追求するあまり、私たちは「心の余白」を失ってしまっているんじゃないか。その余白がなければ、新しい発想も生まれないし、他人の気持ちを思いやる余裕もなくなってしまう。まるで、スケジュール帳の空白が埋まっていくほど、心の空白が広がっていくような感覚。

だから、提案したいのは、全ての効率化を否定することじゃない。ただ、一度立ち止まって、自分にとって本当に必要な「無駄」は何なのか、考えてみること。タイパの追求が、本当にあなたの人生を豊かにしているのか、問い直してみること。

あなたの「本当の豊かさ」って何?

共働き家庭の私たちは、とかく時間に追われがちだ。だからこそ、効率化は魅力的だし、頼りになる。でも、その効率化が、いつの間にか私たちの心を蝕み、大切な人間関係を希薄にしてしまう可能性があることを、忘れてはいけない。

「タイパ」信仰の先に潜む「見えない疲弊」の正体は、物理的な疲労だけじゃない。それは、心の交流の欠如であり、家族との質の高い時間の喪失であり、そして自分自身の心の豊かさの目減りなんだ。

もし今、あなたが「家事は楽になったはずなのに、なぜか満たされない」「家族との会話が業務連絡ばかりになった」と感じているなら、それは「タイパの落とし穴」にハマっているサインかもしれない。

一度、立ち止まって考えてみてほしい。あなたにとっての「本当の豊かさ」って、一体何だろう? それは、どれだけ時間を効率化したか、どれだけ多くのタスクをこなしたか、ということだけじゃないはずだ。

効率化の先に、あなたが本当に手に入れたかったものは何だったのか。その答えを見つけることが、見えない疲弊から抜け出し、本当に心豊かな共働き生活を送るための、最初の一歩になるんじゃないかな。

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