記事内のリンクには、広告を含むものがあります。おすすめできるものだけを紹介していますので、安心してご覧くださいね!

食洗機、乾燥機、ロボット掃除機。導入しても「なぜか疲れる」共働き家庭の深い闇

ブログ

食洗機、乾燥機、ロボット掃除機。これら「三種の神器」を導入したのに、なぜか毎日クタクタ。むしろ、やること増えた?みたいな感覚に陥ってる人、いるんじゃないかな。私もそうだった。時短家電は夢のアイテムのはずなのに、蓋を開けてみれば「あれ、全然楽になってないじゃん」って。

このモヤモヤ、一体どこから来るんだろう。家電のせい?いや、違う。この「なぜか疲れる」の裏には、共働き家庭特有の、もっと根深い“闇”が隠されてる。今回は、その表面的な解決策では見えない本質に、ズバッと切り込んでいこうと思う。もしかしたら、あなたが見ないふりをしてきた問題が、そこにあるかもしれない。

「時短」の罠?見えない家事と心理的負担の増幅

食洗機、乾燥機、ロボット掃除機。これら最新家電を導入すれば、家事は劇的に楽になり、夫婦の時間は増え、心にもゆとりが生まれる——そう信じて疑わなかった私たちが、なぜか疲弊していく現実。これは一体、どういうことなんだろう。

家電は確かに、物理的な労働を減らしてくれる。だけど、私たちを本当に苦しめているのは、実はその「物理的な労働」だけじゃなかった。むしろ、家電がくれたはずの「時間」と引き換えに、もっと厄介なものを抱え込んでしまっているんじゃないか。

期待と裏切りのループ:佐藤美咲さんのケース(仮名)

先日、私が取材でお会いした佐藤美咲さん(仮名)の話が、まさにその典型だった。都内で共働き、小学生と保育園児の二人の子どもを育てている彼女は、まさに「THE・共働き家庭」の代表選手みたいな人。仕事もバリバリこなす傍ら、家事育児にも奮闘する日々。

「もう限界だと思って、ボーナスで一気に三種の神器を揃えたんです」と、美咲さんは少し諦めたような笑顔で語ってくれた。「これでやっと、自分たちの時間も増えるし、夫婦喧嘩も減るかなって。本当に藁にもすがる思いでした」

食洗機を導入した日、山積みの食器が自動で洗われていく光景に、彼女は感動で涙が出そうになったという。乾燥機が回っている間、子どもと絵本を読む時間が増えた。ロボット掃除機がリビングを動き回るたびに、床が綺麗になっていく。最初は確かに、夢のような日々だったらしい。

でも、その「夢」は、長くは続かなかった。

「食洗機、便利なんですけど、入れる前の予洗いが結構手間だったり、食洗機に入らないお鍋とか、食洗機NGの食器とか、結局手洗いするものが残っちゃうんです。しかも、食洗機の中のフィルター掃除とか、洗剤の補充とか、そういう『食洗機のための家事』があるんですよね」

彼女はそう言って、ため息をついた。私も、激しく同意だ。食洗機は万能じゃない。むしろ、食洗機に入れる・入れないの判断、入れ方、そして何より「食洗機対応の食器を選ぶ」という新たな家事まで生み出している。

乾燥機も然り。「乾燥機にかけるとシワシワになる服、縮む服、そもそも乾燥機NGの服。結局、洗濯物を仕分けして、乾燥機にかけるものと、そうじゃないものに分ける作業が発生するんです。あと、乾燥が終わった洗濯物を畳むのは、結局私がやるしかないし…」

畳む作業。そう、これこそが乾燥機が解決してくれない最大の問題点だ。乾燥機は乾かしてくれるけど、畳んで収納まではしてくれない。そして、乾燥機から出したばかりの温かい洗濯物を、山のように積まれたまま放置しておくことへの罪悪感。結局、その「最後の仕上げ」は、誰かがやらなければならない。そして、多くの家庭では、それが妻である美咲さんの役割になっていた。

ロボット掃除機に至っては、もっと複雑だった。「床に物を置かない」という大前提がある。「子どもがおもちゃを出しっぱなしにしないように、毎日鬼の形相で片付けを促すんです。でも、それでもやっぱり小さいおもちゃとか、コードとか、ロボット掃除機が絡まって止まっちゃうことがあって。そうすると、結局私が救出しに行って、ゴミを捨てて、ブラシの絡まりを取って…」

ロボット掃除機をスムーズに動かすためには、床を完璧に片付けておく必要がある。しかし、共働き家庭で子育て中となると、それがどれほど困難なことか。ロボット掃除機は、私たちに「片付けろ」というプレッシャーをかける、まるで静かな監視者のようにも思えてくる。

「名もなき家事」という名のモンスター

美咲さんの話を聞いて、私は確信した。私たちを疲弊させているのは、単に「家事の量」だけじゃない。「家電を動かすための家事」「家電ができない家事」、そして「家電ができたはずの時間の使い道を考える家事」。これらはすべて、今まで意識されなかった「名もなき家事」として、私たちの肩に重くのしかかっている。

「夫は、家電があるからもう家事は楽になったと思ってるみたいで。『食洗機があるから食器洗いはいいだろ』とか、『乾燥機があるから洗濯物干さなくていいじゃん』とか、平気で言うんです」

美咲さんの言葉に、私は思わず頷いてしまった。これ、本当に「あるある」だ。時短家電を導入したことで、夫側の家事への意識が「もうこれで終わり」とストップしてしまうケースは少なくない。家電が解決してくれる部分だけを見て、その裏にある膨大な「名もなき家事」や「管理する手間」には気づかない。

結果として、家電が導入されても、その「名もなき家事」のほとんどは妻に集中し、妻の負担は形を変えて増え続ける。しかも、夫は「家電で楽になったはずだ」と思っているから、妻が疲れていることにも気づきにくい。

さらに厄介なのは、私たち自身が「せっかく時短家電を導入したんだから、もっと有効活用しなきゃ」とか「浮いた時間で、もっと他のこともできるはず」という、新たな自己プレッシャーを抱えてしまうことだ。洗濯物を干す時間がなくなったなら、その時間で子どもと遊ぶ、自分の趣味に使う、あるいはもっと仕事をする。まるで、常に生産的でなければならない、という強迫観念に駆られているかのように。

「時間」だけじゃない、共働き家庭を蝕むもの

「結局、時間はできたはずなのに、心が休まる瞬間がないんです」と美咲さんは言った。「常に何かを効率化しなきゃ、もっと頑張らなきゃって追い立てられてる気がして。夜、子どもたちが寝た後に、ようやく一人になっても、なんかフワフワして落ち着かないんです」

この感覚、痛いほどわかる。家電が物理的な負担を減らしても、精神的な負担は減らないどころか、むしろ増幅しているケースもあるのだ。

物理的な家事が減ったことで、夫婦間のコミュニケーションが「誰が何をやるか」という家事分担の交渉や、家電の管理方法についての話し合いに終始してしまうこともある。せっかく時間が増えたのに、その時間で築かれるべき家族の絆や、夫婦の穏やかな対話が、かえって失われていく。

時短家電は、確かに私たちの生活を便利にしてくれた。しかし、その裏で、私たちは「時間」という名の麻薬に踊らされ、見えない「名もなき家事」というモンスターに心を蝕まれているのかもしれない。

本当に私たちが求めているのは、単なる「時間」の創出だったのだろうか?それとも、もっと根本的な「心のゆとり」や「精神的な余白」だったのではないか。この問いに、私たち共働き家庭は真剣に向き合う必要がある。

「時短」の先に本当に欲しいもの:心のゆとりを取り戻す処方箋

佐藤美咲さん(仮名)のエピソードから見えてきたのは、時短家電が私たちの生活にもたらす光と影だった。物理的な労働は減っても、精神的な負担は増え、私たちは「もっと効率的に」「もっと生産的に」という見えないプレッシャーに追い立てられている。では、この「なぜか疲れる」ループから抜け出し、本当に求めていた「心のゆとり」を取り戻すためには、どうすればいいのだろうか。

完璧主義を捨て去る勇気

まず、私たちに必要なのは「完璧主義」を手放す勇気かもしれない。食洗機に入らない鍋をすぐに洗えなくても、乾燥機にかけられない服が山になっていても、ロボット掃除機が入れない場所がホコリをかぶっていても、それで世界が終わるわけじゃない。

「時短家電を導入したんだから、もっと家事を完璧にこなせるはず」という無意識の期待が、私たちを苦しめていることがある。でも、家電はあくまでツール。万能ではないし、私たちの心の状態まで変えてくれるわけじゃない。

「今日は食洗機に入らないものだけ手洗いして、明日に回そう」「乾燥機にかけられない服は、週末にまとめて干せばいい」——こんな風に、少しだけ自分を許すことで、肩の荷が下りることがある。完璧な家事よりも、心穏やかな自分を選ぶ。その選択が、疲労の連鎖を断ち切る第一歩になる。

「名もなき家事」を可視化し、夫婦で共有する

次に、絶対にやるべきは「名もなき家事」の可視化だ。夫が気づかない、あるいは妻自身も無意識にこなしている「家電を動かすための家事」や「家電ができない家事」を、具体的にリストアップしてみる。

例えば、
* 食洗機に入れる前の予洗い
* 食洗機に入らない食器の手洗い
* 食洗機のフィルター掃除、洗剤補充
* 乾燥機にかけるものとかけないものの仕分け
* 乾燥後の洗濯物を畳む、収納する
* ロボット掃除機が動けるように床の物を片付ける
* ロボット掃除機が止まった時の救出とゴミ捨て、ブラシの手入れ

これらを書き出してみると、意外なほど多くの「見えない家事」があることに気づくはずだ。そして、そのリストを夫に見せて、「これ、誰がやる?」と具体的な話し合いの場を持つこと。

「家電があるから楽になったでしょ?」という夫の無邪気な言葉に、「いや、これが残ってるんだよ」と、具体的なタスクを示して説明する。感情的にならず、事実ベースで。そうすることで、夫も「なるほど、これまでは気づかなかったけど、確かに手間がかかってるな」と理解してくれる可能性が高まる。そして、それをどう分担していくか、あるいは「やらなくていいこと」として手放すか、夫婦で新たなルールを決めることができる。

「何もしない時間」を意識的に確保する

時短家電によって浮いた時間は、必ずしも「別の何かをする時間」である必要はない。むしろ、意識的に「何もしない時間」を確保することこそが、心のゆとりを取り戻す上で最も重要かもしれない。

私たちは、忙しい現代社会において、「常に生産的でなければならない」という呪縛にとらわれがちだ。家事が楽になったら、その分仕事に打ち込む、資格の勉強をする、子どもとの時間を増やす…もちろんそれも素晴らしいことだけど、時にはただボーッと過ごす時間も必要だ。

ソファに座って好きな音楽を聴く。窓の外を眺める。温かい飲み物をゆっくり飲む。スマホも触らず、ただ呼吸に集中する。そんな「無駄」とも思える時間が、実は私たちの心を充電し、クリエイティビティや幸福感を高めてくれる。浮いた時間は、義務ではなく、自分を労わるための「ご褒美時間」と捉え直してみよう。

本当に欲しいのは「時間」か「心のゆとり」か

私たちは、時短家電を導入する時、「時間が欲しい」と願っていた。でも、その時間の先に本当に求めていたのは、焦燥感のない、穏やかな「心のゆとり」だったはずだ。

食洗機、乾燥機、ロボット掃除機は、確かに素晴らしいツールだ。しかし、それらはあくまで私たちの生活をサポートする「手段」であって、決して「目的」ではない。もし、これらの家電が私たちの心をさらに追い詰めているのなら、その使い方や、それに対する私たちの向き合い方を見直す時期が来ているのかもしれない。

共働き家庭が目指すべきは、効率化のその先にある、夫婦が笑顔でいられる時間、子どもと心ゆくまで向き合える時間、そして何より、自分自身が「これでいいんだ」と納得できる心の状態だ。

今一度、立ち止まって問いかけてみよう。
「私たちは、本当に何を手に入れたかったのだろう?」
その答えが、きっとあなたの疲弊した心を解き放つ鍵になるはずだから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました