食洗機、乾燥機、ロボット掃除機…夢の三種の神器、揃えたはずなのに?
食洗機、乾燥機付き洗濯機、ロボット掃除機。これさえあれば、家事から解放される!って、期待に胸膨らませて、清水の舞台から飛び降りる気持ちで全部買った人、結構いるんじゃないかな。私もそうだった。これで家事ストレスとは無縁の毎日が送れるはず!って、心から信じてた。
でも、どう?
蓋を開けてみれば、「あれ?なんか、私だけ忙しくない?」「家電が頑張ってるのに、なんで私ばっかりモヤモヤしてるの?」って、心の中で叫んでない?
「私だけ地獄」。そう感じている共働き妻、あなただけじゃない。そして、その「地獄感」には、ちゃんと理由があるの。
実は、家電を導入しただけじゃ解決しない、もっと根深い問題がある。むしろ、家電があるからこそ、見落としがちな「たった1つの致命的な過ち」を犯している可能性が高い。
今日は、その真実に切り込むから、覚悟して読んでみて。
「家事」を『家電に丸投げ』できた、と勘違いした共働き妻の末路
「家電さえあれば、家事って自動でしょ?」
もし、あなたも心のどこかでそう思っていたなら、それが「私だけ地獄」の始まりを告げる、危険なサインかもしれない。私もそうだった。ハイテク家電が家事を全部やってくれると信じ込んでいた。でも、現実は違った。
確かに、物理的な労働の一部は家電が肩代わりしてくれる。食洗機はゴシゴシ洗いから解放してくれるし、乾燥機付き洗濯機は、干す手間を省いてくれる。ロボット掃除機は、掃除機をかける行為自体をなくしてくれる。それは事実。
だけど、その「自動化」の裏側には、これまで見えていなかった、膨大な「名もなき家事」が潜んでいる。そして、多くの共働き夫婦が、その存在に気づかないまま、「これで家事はおしまい!」と勘違いしている。特に夫側が。
この勘違いが、なぜ「私だけ地獄」を生むのか。私が取材したある共働き妻のエピソードを共有するから、きっとあなたも「うんうん、それ!」って共感するはず。
食洗機、乾燥機、ロボット掃除機…完璧なはずだった佐藤麻衣さん(仮名)の日常
都内で夫と小学生の娘さん、幼稚園の息子さんの4人暮らしをしている佐藤麻衣さん(仮名)は、広告代理店に勤めるバリバリの共働き妻だ。朝は6時に起きて家族4人分の朝食を作り、子どもたちを起こして着替えさせ、登園・登校の準備。自分も身支度を整え、バタバタと家を出る。夜は子どもたちを保育園に迎えに行き、スーパーで買い物をして帰宅。夕食の準備、食べさせ、お風呂に入れ、寝かしつけ。時計を見れば、いつも日付が変わる寸前。
特に麻衣さんにとって苦痛だったのが、毎晩の食器洗いと、大量の洗濯物を干すことだった。「もう無理!」と限界を感じ、夫を説得して、乾燥機付きドラム式洗濯機、ビルトイン食洗機、そしてロボット掃除機と、最新の三種の神器を立て続けに導入したそうだ。
「これでやっと、私も人間らしい生活が送れる!って、本当に心の底から期待したんです。夫も『これで楽になるね!』って言ってくれて、ホッとしました」と、当時の心境を語ってくれた麻衣さん。
しかし、数ヶ月後。麻衣さんの表情は、家電導入前と変わらず疲労困憊だった。むしろ、以前よりも苛立ちが募っているように見えた。
「確かに、ゴシゴシ洗う手間も、洗濯物を干す手間もなくなりました。掃除機も、自分でかけることはほとんどなくなって。でも、なぜか以前よりもイライラするんです。結局、家事のすべてが私にのしかかっている感覚は、何も変わっていなくて」
詳しく話を聞いていくうちに、彼女の「私だけ地獄」の正体が見えてきた。
家電が「自動化」したはずの家事の、その前後にある「名もなき労働」
麻衣さんの家には最新の家電が揃っている。だが、それらが「自動」で動くためには、その前後に、人間による「操作」や「準備」「片付け」が不可欠なのだ。
例えば、食洗機。
麻衣さんの家では、食事の後、食器を食洗機に入れるのはいつも麻衣さんだった。夫は「食洗機が洗ってくれるから」と、食べ終わった食器をテーブルに置いたまま席を立つか、シンクに重ねて終わり。麻衣さんは、その食器を食洗機に入れやすいように残渣を捨て、ひどい油汚れは軽く拭き取り、種類ごとに効率よく配置していく。食洗機が洗い終わった後、まだ水滴が残っている食器を拭き上げ、それぞれの棚に戻すのも麻衣さんの役目だった。「せっかく洗ってくれても、水滴残ったままだと気持ち悪いし、結局私が拭いて片付けないと、次の食事ができないじゃないですか」と麻衣さんは言う。
乾燥機付き洗濯機も同様だ。
夫は洗濯物を脱衣所のカゴに入れるだけで終わり。麻衣さんは、衣類の種類ごとに分け(乾燥機に入れられないデリケートな服、色移りしそうなもの)、ポケットの中身を確認し、乾燥機の設定を選び、洗剤を補充する。乾燥が終われば、熱気を帯びた洗濯物をドラムから取り出し、山積みにされた衣類を家族それぞれに仕分け、畳み、クローゼットや引き出しにしまうのも、全て麻衣さん。夫は、自分が着る服が畳んで引き出しに入っているのを当たり前のように受け取っていた。
ロボット掃除機に至っては、「事前に部屋を片付ける」という、新たな「名もなき家事」が生まれた。
床に散らばった子どものおもちゃを拾い集め、椅子をテーブルの上に上げ、コード類をまとめ、ロボットが引っかからないように床をスッキリさせるのは麻衣さんの仕事だ。そして、ロボット掃除機がゴミで満杯になれば、フィルターを掃除し、ダストボックスのゴミを捨てるのも麻衣さん。「ロボットが頑張ってくれてるんだから、私が頑張らないと」と、いつしか麻衣さんは、家電の「世話」をするようになっていた。
夫は麻衣さんがこれらの家電を操作している姿を見ても、「家電がやってくれるから楽でしょ?」としか言わなかった。「自動化」されたのは、あくまで「物理的な作業」の一部に過ぎない。その前後の「判断」「準備」「片付け」「メンテナンス」といった「頭と手の労働」は、すべて麻衣さんに集中していたのだ。
「まるで、家電を動かすためのオペレーターになったみたいなんです。しかも、そのオペレーターの苦労は誰にも見えていない。夫は、家電が『自動』で全てを完結してくれていると信じ込んでいるから、私が『家電の世話』で疲弊しているなんて、夢にも思っていないんです」
麻衣さんは、そう言って、深いため息をついた。
家電を導入したことで、かえって「見えない家事」が膨れ上がり、夫はその存在にますます気づかなくなった。これが、家電を揃えたのに「私だけ地獄」に陥る、恐ろしい真実の一端なのだ。
では、この「たった1つの致命的な過ち」とは一体何なのか?どうすればこのループから抜け出せるのか?
次の章で、その核心に迫る。
致命的な過ち、それは『家事の見える化』を怠ったこと
佐藤麻衣さん(仮名)のエピソードで明らかになったように、最新の家電を導入した共働き家庭に「私だけ地獄」が生まれる、たった1つの致命的な過ち。それは、「家事の見える化」を怠ったことです。
食洗機も、乾燥機付き洗濯機も、ロボット掃除機も、確かに素晴らしいツールです。これらは、物理的な「作業」の一部を肩代わりしてくれます。でも、家事って「作業」だけじゃないんですよね。
その家電が動くための「準備」。動いた後の「片付け」や「メンテナンス」。そして、そもそも「何がどれくらい汚れているか」「何をいつやるか」という「判断」と「計画」。これらすべてが「家事」なんです。
残念ながら、多くの夫は、妻が家電を操作し、その前後で汗を流している姿を見ても、「家電がやってくれることになっている」と認識しています。あるいは、家電がやってくれるから「楽になったはずだ」と思い込んでいます。彼らの目には、「準備」や「片付け」という「名もなき家事」は映っていない。だから「家事の分担」を話し合う時も、「食洗機があるから食器洗いはいいよね」「洗濯機が乾燥までしてくれるから助かる」という、表面的な議論で終わってしまう。
家電は、私たちに「家事の棚卸し」をする絶好の機会を与えてくれていたはずなんです。どこまでが家電の守備範囲で、どこからが人間の守備範囲なのかを明確にし、夫婦で共有するチャンスだった。しかし、多くの家庭で、そのチャンスを見逃してしまった。
「家電があるから楽になっただろう」という夫の無自覚な思い込みと、「家電があるのに、なぜ私だけこんなに疲れているんだろう」という妻の葛藤。この「家事認識のズレ」こそが、共働き妻を「私だけ地獄」に突き落とす、最も危険な落とし穴だったのです。
解決策はただ一つ。徹底的な『家事の棚卸し』を、夫と一緒に
では、どうすればこの「私だけ地獄」から抜け出せるのか?
答えはシンプルです。多くの複雑なテクニックは必要ありません。ただ一つ、あなたにできることがあります。それは、夫婦で一緒に、徹底的に「家事の棚卸し」をすること。
「食器洗い」という大きなタスクを、「食事が終わった食器を下げる」「残渣を捨てる」「食洗機に入れやすいように軽く流す」「食洗機に並べる」「食洗機のスイッチを入れる」「洗い終わった食器を拭く」「棚に戻す」というように、ありとあらゆる工程に分解してください。
「洗濯」も、「洗濯物をカゴに入れる」「色物と白物を分ける」「デリケートなものを分ける」「乾燥機不可のものを分ける」「ポケットの中身を確認する」「洗濯機に入れる」「洗剤を入れる」「スイッチを入れる」「乾燥が終わった洗濯物を出す」「シワを伸ばす」「畳む」「家族ごとに仕分ける」「クローゼットや引き出しにしまう」といった具合に。
ロボット掃除機も同様。「床の物を片付ける」「椅子を上げる」「ロボットのスイッチを入れる」「ゴミを捨てる」「フィルターを掃除する」まで。
この「名もなき家事」のすべてを、リストアップするんです。そして、そのリストを夫に見せて、「ここまでが家電がやってくれること。そして、この前後の工程は、今まで私が全部やっていたこと」と明確に伝える。そして、それぞれの工程を「誰がやるのか」を、夫婦で一つずつ決めていく。
これは、あなたが「家事を手伝ってほしい」とお願いするのとは全く違います。これは、夫婦で「家事というプロジェクト」のタスクを分解し、役割分担を明確にする、プロジェクトマネジメントなんです。
家電は、あくまで「ツール」に過ぎません。そのツールを最大限に活用し、夫婦双方の負担を公平にするためには、人間が「意識的に」家事を可視化し、共有するプロセスが不可欠です。この一歩を踏み出すことで、あなたは初めて「私だけ地獄」から脱出し、本当の意味で家電がもたらす恩恵を受けられるはずです。
「食洗機があるから」ではなく、「食洗機を動かすために、これとこれは私がやるから、これはあなたがやってほしい」と具体的に伝わる関係性こそが、共働き夫婦が目指すべき理想の姿。
あなたが本当に求めていたのは、「家事からの完全解放」ではなく、「公平なパートナーシップ」だったはずです。そのための最初の一歩を、今日、踏み出してみませんか。
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