共働きなのに、なぜ妻ばかり疲弊するのか?
共働きなのに、なぜか私だけがいつも家事に追われている気がする。夫が「お皿洗いくらいやったよ」とか、「ゴミ出しもしてるじゃん」って言うたび、心の奥底で「それだけじゃ済まないんだよ!」って叫びたくなる気持ち、痛いほどわかる。
夫の「やってるつもり」と妻の「絶望」
そう、「お皿洗い」は家事の一部にすぎない。「やってるつもり」の夫と、「私ばっかり」とため息をつく妻。この、どうしようもないすれ違いが、じわじわと「絶望」を生み出す。今日は、その”本当の理由”に、目を背けずに向き合ってみよう。
「見えない家事」のタスク地獄:妻の脳内CPUはなぜ常にフル稼働なのか?
「お皿洗い?やったよ」「ゴミ出し?俺の担当じゃん」。夫がそう言うたび、妻の心に小さな棘が刺さる。その棘が何本も積み重なったとき、やがて「絶望」という名の大きな岩になる。だって、家事って目に見えるタスクだけじゃないでしょう?
夫が知らない「思考の家事」という名のブラックホール
考えてみて欲しい。食卓に並ぶご飯一つとっても、誰が献立を考える?冷蔵庫の中身と相談して、栄養バランスを考慮して、子どもの好き嫌いも頭に入れて、今日の自分の体力も考慮して、初めて買い物リストができあがる。スーパーで特売品を見つけたら、瞬時に献立を組み直す機転も必要になる。そして、その食材をどう調理するか、どう盛り付けるか。これ、全部「思考の家事」なんです。
うちの夫も決して悪い人じゃない。「手伝うよ」とは言ってくれる。でも、「何を手伝えばいい?」って聞かれた時点で、もう私の脳内CPUはフル稼働。あなたが「何を手伝えばいい?」と聞くその一瞬で、私は今あるタスク、これから発生するであろうタスク、そしてそれらを実行するための段取りを、瞬時に整理して言語化しなきゃいけない。それ自体が、すでに一つのタスクなんだよ、って。
最近、取材した田中美咲さん(仮名)の話を聞いて、まさに「これ!」と膝を打った。彼女も私と同じ30代後半、IT企業でバリバリ働きながら、幼稚園の娘さんと夫との3人暮らし。夫は「家事分担は平等に」と口では言うものの、美咲さんはいつも疲労困憊だと言う。
「ある日のことなんですけど」と美咲さんは言った。「夫が、珍しく食器洗いを率先してやってくれたんです。いつも私がやるんですけどね。その日は『お、気が利くじゃん!』って正直思いました。でも、洗ったお皿が乾ききらないうちに、もうその隣で自分が飲んだコーヒーカップを置きっぱなしにしてるんです。そして、翌朝には『朝食のパンがない』って。私が前の晩に買い忘れたからなんだけど、そのパンがなくなったことで、夫は怒るわけじゃなく、ただ無邪気に『え、今日パンないの?』って言う。その顔を見て、私はもう、言葉を失いました」
美咲さんの話は続いた。「パンがない、って。いや、私が昨日、帰りにスーパー寄る時間なかったからだよ。そもそも、その日、幼稚園から『来週、遠足なのでお弁当と水筒の準備をお願いします』ってプリントが来てて。夫はそのプリント、見もしない。私がリュックを出して、中身を確認して、水筒の中を洗って、前日に遠足に持っていくおやつを買い出しリストに追加して…って、そんなこと全部私の頭の中にあるわけですよ。夫は、食器を洗うっていう『見えている一つの行為』はできる。でも、その周りにある、無数の『見えないタスク』には、全く意識が向いてないんです」
「やってるつもり」のその先に潜む、夫婦の溝
これ、本当にそうなんです。夫は「やった」と言う。でも、その「やった」は、氷山の一角でしかない。美咲さんの夫が洗ったお皿は、あくまで「洗っただけ」。誰がそのお皿を拭いて棚に戻すか、次に使うお皿がどこにあるか、今日使うお皿の量は適切か、シンクの中の生ゴミは誰が捨てるか。そして、そもそも「お皿を洗う」という行為に至るまでに、誰が食事を作り、誰が食卓を整え、誰が片付けのタイミングを見計らったか。夫は、そのすべてを知らない。
「夫は、トイレットペーパーが切れたら『ないよ!』って大声で呼ぶんです。でも、私が『あと1ロールでなくなるな』って予測して、買い物リストに入れてたことは知らない。私がいない間に、もしトイレットペーパーが切れても、夫は『買ってないから仕方ない』で終わり。でも、私だったら『あ、ストックがないから帰りに買って帰ろう』って、常にアンテナを張っている。この差が、本当に大きいんです」と美咲さんは語気を強めた。
「やってるつもり」の夫と、その「つもり」の裏で、膨大な思考リソースを消費し続ける妻。夫にとっての家事は、指示されたタスクをこなすこと。でも妻にとっての家事は、家族の生活をマネジメントする「プロジェクトそのもの」なのだ。そして、この「見えない家事」の負担が、夫婦間の深い溝となり、やがて取り返しのつかない「絶望」へと繋がっていく。
なぜなら、妻は夫の「やってるつもり」の裏で、常に「思考し、計画し、予測し、実行する」という見えない労働を続けているから。お皿洗いやゴミ出しという、目に見える数個のタスクが完了したところで、この脳内CPUの稼働は止まらない。これこそが、共働きなのに妻だけがいつも疲弊している”本当の理由”なのだ。
「お皿洗い」の先に、夫婦の未来はあるか?
美咲さんのエピソードを聞いて、多くの共働き妻が深く頷いたことだろう。「うちもそう!」「まさにそれ!」そんな声が聞こえてくるようだ。夫が「やった」と言う家事は、あくまで「点」のタスク。でも、妻が担っているのは、その「点」と「点」を繋ぎ、さらにその先に存在する未来の「点」まで見越した、壮大な「線」であり「面」なのだ。
見えない家事を「見える化」する、たった一つの方法
この「見えない家事」の存在を夫にどう理解してもらうか。これが、夫婦関係の健全性を保つ上で、非常に重要な鍵となる。多くの妻が試行錯誤してきたけれど、結局のところ、一番効果的なのは「期待値を下げる」ことではない。あるいは「頑張り続ける」ことでもない。
私が考える、たった一つのシンプルなメッセージはこれだ。
「家事は“プロジェクト”だと認識せよ」
夫の皆さん、家事は「指示された作業」ではなく、「家族の生活を回すためのプロジェクト」だと認識を変えて欲しい。プロジェクトには、目標設定、計画立案、タスク分解、進捗管理、リスクヘッジ、そして予期せぬトラブル対応、全てが含まれる。
例えば、「今日の晩ごはん」というプロジェクトを考えてみて欲しい。
1. 目標設定: 今日の晩ごはんは何にするか?(栄養、好み、コスト、時間)
2. 計画立案: 必要な食材は?(冷蔵庫チェック、買い物リスト作成)
3. タスク分解: 誰が買い物に行くか?誰が調理するか?(役割分担)
4. 進捗管理: 調理の順番は?(段取り)
5. リスクヘッジ: 食材が足りなかったらどうする?(代替案)
6. トラブル対応: 子どもが急に「あれ食べたい!」と言い出したら?
これらを頭の中でシミュレーションし、実行しているのが、いつも妻なのだ。夫が「手伝うよ」と言うなら、ぜひ「何を手伝えばいい?」の先に踏み込んで、「このプロジェクト全体の状況を教えてくれる?」と聞いてみてほしい。そして、「私が担当できるタスクは何?」ではなく、「私が担当できるプロジェクトの一部は何?」と考えてみてほしい。
「お皿洗い」は、プロジェクトの「タスク」の一つに過ぎない。その上流にある「思考」と「計画」、そして下流にある「片付けの段取り」や「次の準備」にまで意識を広げることができれば、きっと夫婦の関係は変わる。
「絶望」を「希望」に変える、夫の意識改革
夫が「お皿洗い」だけでなく、その周りにある「見えない家事」の全体像を把握し、自らプロジェクトメンバーの一員として「次はこれが必要だね」「これは私がやっておくよ」と主体的に動くようになった時、妻の心の重荷は劇的に軽くなるだろう。
「共働き」とは、単に収入を分かち合うことではない。家庭という名の共同プロジェクトを、夫婦というチームでいかに効率的かつ円滑に進めていくか。その真価が問われる時代なのだ。
あなたの「お皿洗い、やったよ」が、妻にとっての「絶望」ではなく「ありがとう」に変わる日を、心から願っている。そのためにはまず、あなたの「認識」を変えること。それこそが、共働き家庭の未来を明るくする、最初の一歩なのだから。
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