「時短」が奪う、夫婦の「濃密な時間」
私たちは本当に「効率」と引き換えに大切なものを失っていない?
共働きが当たり前になった現代、みんなが血眼になって追い求める魔法の言葉があるよね。そう、「時短」。朝食はワンプレート、掃除はロボット、移動時間はスキマ学習…。「いかに効率的に時間を捻出するか」が、私たちの最大のミッションになっている。SNSを開けば、「完璧な時短ルーティン」が溢れていて、まるでそうしないと人生損してるみたいに思えてくる。
でも、ちょっと待って。その「時短」の先で、私たちは本当に満たされているのかな?
確かに、物理的な時間は増えたかもしれない。でも、その増えた時間で、私たちは何をしているんだろう。夫婦の会話は、いつの間にかタスク確認や業務連絡に変わり、ふとした瞬間の「無駄話」や「ぼーっとする時間」は、生産性がないものとして切り捨てられていない?
「無駄」だと切り捨てたはずの時間の中にこそ、実は夫婦の絆を深めたり、お互いの存在を確認し合ったりする、かけがえのない瞬間が隠されていたとしたら?私たちは「時短」を追求するあまり、無意識のうちに、夫婦の溝を深める種を蒔いてしまっているのかもしれない。
この連載では、私たちが「効率」という名の元に失いつつある、本当に大切な「無駄な時間」について、立ち止まってじっくり考えてみたい。そして、その時間が夫婦関係にもたらす、意外な「代償」について、本音で語っていこうと思う。
「効率」の罠に落ちた夫婦たち
会話も感情も「時短」されていませんか?
前の章で、私たちが「時短」という魔法の言葉にどれだけ振り回されているか、そしてそれが夫婦関係に思わぬ影を落としている可能性について触れたよね。もちろん、時間が足りない現代において、効率化自体は悪いことじゃない。むしろ、賢く生きるためには必須スキルとも言える。
でも、ちょっと考えてみてほしいんだ。その「時短」の先に、私たちは本当に望むものが手に入っているのかな?
物理的な時間が生まれたとしても、その時間をどう使っているか、が問題。気がつけば、夫婦の会話は「今日のゴミ出しは?」「子どもの迎え、何時だっけ?」なんて、業務連絡みたいなLINEのやり取りか、口頭でのタスク確認になってない?「今日さ、こんな面白いことあったんだよ」とか、「なんか最近、ちょっと疲れてるんだよね」みたいな、他愛もない雑談や感情の共有は、いつの間にか「無駄な時間」として、そぎ落とされてしまっていないだろうか。
SNSを開けば、「共働きでも完璧!私の時短ルーティン」なんてキラキラした投稿が溢れていて、ますます「ちゃんと効率化しなきゃ」って、自分を追い込んでしまう。でも、その「効率」を追求するあまり、私たちは無意識のうちに、夫婦の間に流れるはずだった、もっと大切な「濃密な時間」まで、「時短」してしまっているのかもしれない。
ある共働き夫婦が「無駄な時間」を失った物語(仮名)
先日、取材でお会いした田中陽子さん(仮名、30代後半)も、まさに「時短」の罠にハマりかけていた一人だった。夫の健太さん(仮名)と、小学校低学年のお子さんが一人いる共働き家庭。陽子さんは、仕事でも結果を出すバリキャリでありながら、家事育児も完璧にこなしたいという強い信念を持つタイプ。結婚当初は、週末に二人でスーパーへ行って、その場で献立を考えたり、「これ美味しそうだね、買ってみようか」なんて言いながら、カゴに食材を放り込んだりする時間が、ささやかながらも楽しい「夫婦の時間」だったそう。
それが、子どもが生まれて、二人ともフルタイムで働き始めてからは一変した。朝は戦争、夜はバタバタ。少しでも自分の時間、夫婦の時間を捻出しようと、陽子さんはありとあらゆる「時短」術を導入していった。
食事はミールキットや週末の作り置きがメイン。高性能な食洗機と乾燥機付き洗濯機はフル稼働。リビングにはロボット掃除機が毎日走り回り、ネットスーパーはもはやライフライン。「将来的には家事代行も検討してるんです」と、彼女は少し誇らしげに語っていた。
確かに、物理的な家事の時間は劇的に短縮された。週末も、効率的にタスクをこなすことで、自分の自由な時間が少し増えたのは事実だという。周囲からは「どうやって両立してるの?すごいね!」と称賛されることも多く、陽子さん自身も「これで完璧!」と、どこか満たされた気持ちでいたそうだ。
しかし、その裏側で、夫婦の関係には静かに、そして確実に変化が訪れていた。
まず、会話の質が変わった。
「今日の夕飯、ミールキットで鶏肉と野菜の炒め物ね」「了解」
「明日のゴミ出し、健太お願い」「わかった」
「子どもの体操服、乾燥機かけたから畳んでおいて」「OK」
こんな風に、会話のほとんどがタスクの確認や指示、返事だけになっていった。「今日仕事でこんなことがあってね」「最近ハマってるドラマがさ、すごく面白くて」といった、いわゆる「無駄話」は激減。お互いがどんな気持ちで一日を過ごしたのか、何に心を動かされたのか、そういった感情を共有する時間が失われていったのだ。
以前は、夕食の準備を夫婦で一緒にすることもあった。夫が野菜を切り、陽子さんが味付けをする。「これ、もうちょっと甘い方が好き?」なんて言いながら、二人で一つのものを作り上げる。その過程で生まれる「ちょっとした共同作業」が、二人の絆を強くしていた部分もあったはずだ。でも、今は全てが効率化され、二人でキッチンに立つ必要すらなくなった。食事中も、子どもを早く寝かせたい一心で、食べることに集中し、会話は子どもへの促しが中心。食後にコーヒーを飲みながら、テレビを見たり、今日の出来事を話したりする「夫婦の時間」は、気づけば消滅していた。それぞれがスマホを見たり、別の家事に取り掛かったりする、いわば「個」の時間になっていたのだ。
そんなある晩、健太さんがポツリと漏らした一言が、陽子さんの心を強く揺さぶった。
「ねぇ陽子。最近さ、俺たち、ほとんどLINEしてるみたいだね。会話じゃなくて、連絡ばっかり。」
その言葉を聞いた瞬間、陽子さんの心臓が「ドキン」と鳴ったという。自分は時間を生み出していたつもりなのに、その生み出した時間を使って、夫婦は何をしていたんだろう? 効率化で生まれたはずの時間は、各自の休息や別のタスクに充てられ、夫婦の共有時間にはほとんど充てられていなかった。むしろ、互いの存在が「家事を円滑に進めるための駒」のように感じられる瞬間すらあった、と陽子さんは振り返る。
「私たちは、効率を追い求めるあまり、人間的な温かさや、夫婦としての絆を深める時間を、自ら手放していたんだって、あの時初めて気づいたんです」と陽子さんの言葉は重かった。互いへの「感謝」や「ねぎらい」の言葉も、いつの間にか「わかってるでしょ」という無言の了解に変わり、そこに感情はなかった。
「無駄」こそが育む「豊かさ」
「時短」は、私たちに多くの利便性をもたらしてくれた。それは間違いない。でも、その「時短」の目的が、もし「夫婦の絆を深める時間」や「心のゆとり」を失わせるものであったら、それは本末転倒じゃないだろうか。
陽子さん夫妻の事例が示唆しているのは、「無駄」と切り捨てられがちな時間の中にこそ、実は夫婦にとってかけがえのない宝物が詰まっているということ。お互いの顔を見て笑い合ったり、冗談を言い合ったり、時には何も話さずただ寄り添う時間。それは「生産性」という物差しでは測れないけれど、夫婦の心を豊かにし、絆を深める「心の栄養」のようなものなんだ。
あなたの夫婦の会話、本当に「業務連絡」だけになっていませんか?
その「時短」、本当にあなたたちの関係を豊かにしていますか?
「無駄な時間」を取り戻すたった一つの方法
夫婦の「心の余白」を意識的に確保する
田中さんご夫妻のエピソードを聞いて、多くの人が「うちもそうかも…」と心当たりを感じたかもしれない。私も例外ではない。効率化は一見、私たちの生活を豊かにしてくれるように見えるけれど、その裏側で、夫婦の心のつながりを細く、希薄にしてしまう可能性がある。
では、どうすればこの「時短」の罠から抜け出し、夫婦関係における「無駄な時間」の価値を再認識できるのだろうか。多くのアイデアを羅列するよりも、もっとシンプルで、誰もが今日から始められる強いメッセージを送りたい。
それは、「意識的に、夫婦の『心の余白』を確保する」ということだ。
「無駄な時間」を再び生活に取り入れるためには、まず「無駄ではない」と夫婦双方が認識し、そのためのスペースをスケジュールの中に意図的に作ることが重要なんだ。
効率化の先に「感情の共有」を
田中さんご夫妻も、あの健太さんの言葉をきっかけに、まずは小さなことから変えていったそうだ。例えば、夕食の片付け。以前は食洗機に任せて終わりだったけれど、今は週に何回か、あえて二人で手洗いすることもあるという。「お皿洗うなんて非効率!」って思われそうだけど、流れる水の中で、今日の出来事を話したり、くだらない冗談を言い合ったりする時間が、今は一番落ち着く夫婦の時間だと言う。
あるいは、週末の買い物。以前はネットスーパーで効率化していたけれど、月に一度は二人でスーパーへ行く日を作ることにした。特別な目的があるわけじゃない。ただ、二人で並んで歩き、どんな食材があるか見て回り、「これ美味しそうだね」「あ、この調味料試してみない?」なんて、たわいない会話を交わす。その「無駄」とも思える時間が、二人の心に新しい風を吹き込んでいるのだ。
重要なのは、その時間に「生産性」や「効率」を求めないこと。ただ、お互いの存在を感じ、言葉を交わし、感情を共有すること。それが、夫婦の「心の余白」を育み、失われた絆を取り戻すための、たった一つのシンプルな答えなんだ。
今日から始められる、小さな一歩
「時短」をゼロにする必要はない。私たちは忙しい現代人だから、全てを手作業に戻すなんて非現実的だ。問題は、「時短」が私たちの夫婦関係において、本当に大切なものを奪っていないか、という問いに尽きる。
だからこそ、今日から「意識的に無駄な時間を夫婦で共有する」ことを始めてみてほしい。
* 5分でいいから、食後にコーヒーを淹れて二人でソファに座る。
* どちらかが料理をしている間、もう一人はスマホを手放してキッチンに立ち、今日の出来事を話す。
* 寝る前に、今日の楽しかったこと、少し困ったことを一つずつ共有する。
どんなに小さなことでもいい。それが、効率化の波に流されてしまいがちな夫婦の絆を、もう一度しっかりと結び直す、大切な一歩になるはずだ。
「時短」という言葉の陰に隠れてしまった、あなたの夫婦にとってかけがえのない「無駄な時間」。それを取り戻すことは、きっと、あなたの共働き生活を、より豊かで、より満たされたものに変えてくれるはずだから。
さあ、今日から「無駄な時間」を、夫婦の宝物に変えていこう。
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