「家事は手伝うよ」…って、夫に言われたこと、ありますよね?
悪気がないのは百も承知。だけど、その言葉を聞くたびに、心の奥でカチッと音を立てて何かが削られているような感覚…そのモヤモヤ、すごくよくわかる。
共働きなのに、なぜか妻ばかりが「家事と育児、両方完璧にこなして当たり前」みたいな顔をされる。挙句の果てに、夫からは上から目線で「手伝ってやってる」アピール。正直、そんな夫とは、一緒にいるだけで疲弊する一方だと思いませんか?
この記事では、その「手伝うよ」発言の裏に潜む、共働き妻が夫を「捨てたい」とまで思う、あまりにも残酷で、そして誰も教えてくれなかった本当の理由に迫ります。
「手伝うよ」の裏に隠された、無意識の「家事の丸投げ」という暴力
「手伝うよ」
この言葉、夫は善意で言っているのは、百も承知。だけど、その瞬間に私たちの心の中で何かがすり替わっていること、あなたは気づいてる?夫にとっては「俺、優しいだろ?」アピールかもしれないけど、妻である私たちにとっては、実は「家事の丸投げ」という、見えない、そして無意識の暴力でしかない、って言ったら、あなたは驚くかな。
だって、考えてみて。彼らが「手伝う」と言った時、それは「あなたがメインでやる家事の一部を、私がサブとして分担するよ」っていう意味でしょ?でも、私たち共働き妻は、最初から家事の「メイン担当」として見られている。まるで、私たちが「家事の責任者」で、夫はせいぜい「派遣されてきた応援部隊」とでも思われているかのよう。
家事には、目に見える「作業」だけじゃなく、その前段階にある「計画」「段取り」「情報収集」「判断」といった、膨大な「見えない家事」が存在する。献立を考えたり、足りないものをチェックして買い物リストを作ったり、子どもの行事を把握したり、予防接種のスケジュールを組んだり、衣替えの計画を立てたり…これら全て、誰かの頭の中で処理されている「仕事」なの。
夫が「手伝うよ」と言ってくれる時、彼らは往々にして、この「見えない家事」には一切タッチしない。ただ、私たちから「〇〇やってくれる?」と指示されて初めて、手を動かす。つまり、私たち妻は、彼らの「手伝い」という名のもとに、家事の「マネジメント」という、新たなタスクを背負わされることになる。
そう、彼らの「手伝うよ」は、決して私たちの負担を減らしてはくれない。むしろ、「マネジメント業務」という見えない荷物を、さらに一つ追加してくるようなものなの。そして、その荷物の重さに耐えきれなくなった時、私たちの心は静かに、だけど確実に夫から離れていく。
「手伝うよ」が妻を「絶望」に追いやる残酷な日常:由香里さんの場合
私が取材した中に、佐藤由香里さん(仮名・30代後半、IT企業勤務)という女性がいます。彼女は、夫の直人さん(仮名)と小学生の娘さんとの3人暮らし。由香里さんは朝から晩まで、仕事と家事と育児に追われる毎日を送っていました。直人さんも共働きなのですが、彼の「家事分担」のスタンスは、まさに「手伝うよ」を地で行くタイプだったんです。
最初の頃、由香里さんは直人さんのその言葉を素直に受け止めていました。忙しい共働き夫婦なのだから、お互い協力し合うのは当然だと。直人さんが「俺が皿洗いするよ」と言ってくれれば「ありがとう」と感謝していましたし、「ゴミ出しは俺の担当だから」と言ってくれることも、もちろん有難いことだと思っていました。でも、その「ありがとう」の気持ちは、日に日に、別の感情へと変わっていったそうです。
ある日、由香里さんがリビングで翌日の仕事の準備をしていると、キッチンからガチャガチャと音が聞こえてきました。直人さんが「俺が皿洗いするよ」と言ってくれたからだ、と由香里さんは思いました。しばらくして直人さんが「終わったぞ!」と誇らしげに報告してきたので、由香里さんは「ありがとう」と返しました。しかし、翌朝キッチンに立った由香里さんは、言葉を失います。シンクの周りは水浸しで、洗い終わったはずのグラスの縁には茶渋がくっきりと残っている。食洗機に入れるはずのお弁当箱が、シンクの端に置き去りになっている。由香里さんは、結局、自分がもう一度拭き直し、洗い直す羽目になりました。「ねぇ、ここも拭いてって言ったんだけど…」と直人さんに伝えると、「え、俺やったぞ?ちゃんと拭いたつもりだけど」と不機嫌そうな返事。悪気がないのはわかる。でも、その「つもり」が、由香里さんの心を深く削っていくのです。
ゴミ出しもそうでした。直人さんは「俺の担当」と言ってくれるのに、資源ごみの分別が適当で、回収されないことがたびたびあったそうです。「これ、また回収されてないよ。この牛乳パックは開いて洗って乾かさないとダメなんだよ」と由香里さんが説明すると、「え、そうなの?知らなかった」と直人さんは言う。結局、由香里さんが回収されなかったゴミを一度持ち帰り、分別し直し、次のゴミの日に出し直す…ということが繰り返されました。
由香里さんにとって最も辛かったのは、娘さんが熱を出して保育園から呼び出しがあった時です。由香里さんは急いで仕事を切り上げて迎えに行き、家で看病していました。直人さんも定時で帰宅しましたが、リビングでスマホを見ながら、「何か手伝うことある?」と声をかけてきたそうです。「手伝うことある?」…その言葉に、由香里さんの心の中で何かがプツッと切れたと言います。「何を手伝うの?娘が熱を出してるんだよ。あなたは父親でしょ?看病も、食事の準備も、熱を下げるための対策も、薬を飲ませることも、全部私がやると思ってるの?」由香里さんは、怒りよりも、深い絶望感に襲われたと言います。直人さんはバツが悪そうに、「いや、俺だって心配してるよ。でも、どうしたらいいか分からなくて…」と言うばかり。結局、その夜も、看病から家事、そして翌日の仕事の調整まで、全て由香里さんが担いました。
由香里さんは、次第に「もう頼まない方がマシ」と思うようになっていました。頼めば頼むほど、指示する手間が増え、やり直しが必要になり、結局自分の負担が増えるだけだからです。いつしか「ありがとう」の言葉は消え、夫への期待も、愛情も、少しずつ、だけど確実に冷え込んでいきました。「この人と一緒にいる意味って何だろう?」由香里さんの頭には、その言葉が常に浮かぶようになったのです。
「手伝うよ」という言葉は、直人さんにとっては「協力」のつもりだったでしょう。しかし、由香里さんにとっては、それは「私は家事の責任者、あなたは指示待ちのアルバイト」という役割分担を、無意識のうちに突きつけられているようなものだったのです。主体性のない「手伝い」は、共働き妻の心を深く蝕み、やがては関係の破綻へと導いてしまう。これは、決して大げさな話ではないのです。
「手伝うよ」という言葉が、共働き妻を「孤独」に追いやる理由
由香里さんのエピソード、胸が締め付けられるほど共感した人も多いんじゃないでしょうか。夫が「手伝うよ」と言う時の、あの何とも言えないモヤモヤ。それが積み重なって、やがて「この人と一緒にいる意味って何だろう?」という深い絶望に変わっていく。これって、単に家事の量が多いとか、夫が気が利かないとか、そういう表面的な問題じゃないんです。
問題の根源は、夫が家事を「自分のこと」として捉えていない、その「当事者意識の欠如」にあります。彼らにとって家事は、あくまで「妻の仕事」であり、自分は「それを手伝ってあげる側」。だから、指示されなければ動けないし、指示された通りにやったとしても、その先にどんな影響があるかまでは考えが及ばない。言われたことだけをこなして、「やったぞ!」と満足してしまう。
しかし、共働き家庭において、家事や育児は「どちらか一方の仕事」であってはならない。夫婦二人で生活を営む上で発生する、共通の「プロジェクト」であるべきなんです。妻がメイン担当で、夫はサブ、という発想自体が、共働きという生き方とは相容れない。
夫が「手伝うよ」と言っている限り、彼らは永遠に「お客さん」のままで、家事の「責任」と「マネジメント」は妻に丸投げされ続ける。妻は、自分の仕事に加えて、夫という「もう一人の家事担当者」のマネジメントまで背負わされることになる。これでは、共働きを選んだはずなのに、かえって負担が増え、孤独感だけが募っていくのは当然の結果だと思いませんか?
「手伝うよ」という言葉の裏には、「家事の主導権はあなたにある」という無言のプレッシャーと、「私はあくまでゲストです」という無責任さが隠されている。そして、その無責任さこそが、共働き妻が夫を「捨てたい」とまで思う、あまりにも残酷で、そして誰も教えてくれなかった本当の理由なのです。
あなたの家庭を「地獄」から救う、たった一つのシンプルな解決策
では、この負のループを断ち切り、共働き夫婦が真にパートナーとして機能するためにはどうすればいいのか。多くのアイデアを羅列することもできるけれど、私があなたに伝えたい、シンプルで最も強力なメッセージはこれだけです。
夫よ、「手伝う」という言葉を、今すぐあなたの辞書から消去してください。
家事も育児も、「あなたのもの」です。妻の「補助」をするのではなく、「あなた自身の責任」として、ゼロから計画し、実行し、その品質に責任を持つ意識を持ってください。献立を考え、買い出しに行き、調理し、片付ける。子どもの送迎、予防接種の予約、習い事の調整。これら全てを、妻からの指示を待つのではなく、自らが「当事者」として動き出すことです。
妻よ、諦めないで。ただし、これまでと同じやり方では何も変わりません。パートナーに「頼む」のではなく、「共同事業のパートナー」として、対等な立場で「役割と責任」について、徹底的に話し合うことから始めてください。曖昧な「手伝い」ではなく、「あなたの担当はこれ」と具体的に、そして「それに対する責任はあなたが持つ」と明確に。
共働きで幸せな家庭を築きたいなら、必要なのは「手伝い」ではなく「パートナーシップ」です。家事や育児は、どちらか一方が負担を背負うものではなく、夫婦二人でゼロから作り上げていくプロジェクト。お互いが主体性を持ち、責任を分かち合うこと。それこそが、共働き夫婦が本当に心から笑い合える、唯一の道だと私は断言します。
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