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共働きなのに、なぜ夫が「家事手伝うよ」と言うと妻はブチ切れるのか?【夫婦関係を破壊する本当の理由】

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共働き夫婦のリアル、その一コマ

共働きって、今の時代、もはや当たり前。キャリアも家庭も、欲張りに頑張りたい!って意気込んで結婚したのに、気づけば毎日が綱渡り。仕事から帰ってきて、ヘトヘトになりながらごはん作って、洗濯物回して、子どものお風呂に入れて、寝かしつけたら、もう日付が変わってる…なんて人、少なくないはず。

そんな日常のなか、夫がね、悪気なく言うわけ。「何か手伝うことある?」とか、「あ、お皿洗おうか?」って。これ、一見すると神対応じゃない? なのに、なんでか妻の心には、ズドンと重たいものが落ちてきたり、最悪、心の中でブチ切れてたりするんだよね。

「は?今更?」「手伝うって何だよ、あんたの家事でもあるだろ!」みたいな感情が渦巻く瞬間。このモヤモヤ、私だけじゃないはず。この謎を解き明かさないと、夫婦関係ってどんどんギクシャクしていく一方だよ。一体、この「手伝うよ」の裏には、どんな地雷が隠されてるんだろう?今日はその本当の理由を、一緒に深掘りしていこう。

「手伝うよ」が、なぜ地雷ワードになるのか

前章で触れた、あのモヤモヤ。夫が悪気なく発する「何か手伝うことある?」の一言で、妻の心にブチギレ警報が鳴り響く現象。これって、単なる「言葉尻を捉えてる」とか「疲れてるからイライラしてる」で片付けられない、もっと根深い問題が潜んでるのよ。

例えばね、最近、取材で話を聞いた都内で働く共働き夫婦、高橋さんご夫妻のケースがすごく象徴的だったから、ここで紹介させてほしいの。夫の隆(たかし)さん(仮名)は、IT企業のエンジニアで、毎日夜遅くまで働くタイプ。妻の由香里(ゆかり)さん(仮名)は、子どもが生まれてから時短勤務を選んだけど、結局家に帰ってからも仕事のメールをチェックしたり、子どもの保育園の準備をしたりと、休まる暇がない日々を送ってる。

ある日のこと。由香里さんは、仕事から帰ってきて、まずは夕飯の準備。保育園から帰ってきたばかりの3歳の子どもが「ママ見てー!」とまとわりつき、お風呂の準備もしつつ、洗濯機も回す。キッチンでは、煮込み料理の鍋がシュッシュッと音を立て、横では魚を焼くグリルが熱気を放ってる。食卓には、子どもが散らかしたおもちゃが点在し、夫の着替えがソファに無造作に置かれたまま。由香里さんの頭の中は、まるでマルチタスクの巨大なコンピューターみたいに、今日の献立、明日の子どもの持ち物、会社のプレゼン資料の修正点、銀行に寄ること、トイレットペーパーの残量、子どもの検診の予約…と、ありとあらゆる情報が高速で処理されてる状態だったそう。

その時、仕事から帰ってきた隆さんが、リビングに入ってきて言ったのよ。「ただいまー。由香里、なんか手伝うことある?」って。隆さんの声は、疲れているとはいえ、優しさに満ちていたんだって。でも、由香里さんの心に響いたのは、「ありがとう」でも「お疲れ様」でもなく、ドス黒い、そして重たい感情だったんだって。

由香里さんは、その時のことを思い出すと、今でも少し顔がこわばるの。「正直、『は?今更?』って思いましたね。私がここまでバタバタしてるのに、今頃『手伝うことある?』って何なの、と。もし本当に手伝う気があるなら、私が言わなくても、何かしら気づいて動いてほしかった。せめて、部屋に散らかったおもちゃを片付けるとか、ソファの上の服を洗濯カゴに入れるとか。それすらも、私が『あれやって、これやって』って指示しないと動かないってこと?って。結局、私が指示を出す手間が増えるだけじゃん、って思っちゃったんです」。

この由香里さんの言葉、胸に刺さる人、多いんじゃないかな。そう、「手伝う」という言葉が、なぜ妻をそこまでイラつかせるのか。それは、この言葉に潜む、ある種の「主従関係」のニュアンスにあるんだよね。

「手伝う」が暴く、無意識の役割分担

考えてみて。もし、隆さんが「何か手伝うことある?」ではなく、「ただいま。俺、まずこれやるね」と言って、何も言わずに子どものおもちゃを片付け始めたら?あるいは、「今日のご飯、美味しそうだね。俺、その間に洗濯物畳んでおくよ」と言って、ちゃちゃっと畳み始めたら?由香里さんの反応は、全く違ったはずだよね。きっと「ありがとう!」って心から感謝が湧いてきたと思う。

「手伝う」という言葉は、無意識のうちに「家事や育児は、本来、あなたの仕事(責任)だよね。僕は、その大変なあなたの仕事を、ちょっとだけお手伝いしてあげるよ」というメッセージを含んでいることが多いのよ。つまり、主役は妻で、夫は助っ人、という役割分担が透けて見えるってこと。

でも、共働きって、本来は夫婦二人で家庭を運営していく「共同経営者」のはずでしょ?どちらか一方だけの仕事じゃない。なのに、なんで妻だけが、日々山積する家事・育児タスクの「最高責任者」みたいになってるんだろう。タスクの洗い出し、優先順位付け、段取り、実行、進捗管理…これらすべてを、妻が一人で抱え込んでいる状態。これを「名もなき家事」なんて言うけど、この「名もなき家事」こそが、妻を常に疲弊させている最大の要因なのよ。

由香里さんの頭の中は、まさにその「名もなき家事」のオンパレードだったわけ。そんな状況で、「何か手伝うことある?」と言われても、「いや、私が今、何をすべきか、何が足りないか、何を優先すべきかを、もうすでに全部考えて、判断して、実行している最中なの!それに、今からあなたに状況を説明して、何をどう手伝ってほしいかを指示する労力まで、私が負担しなきゃいけないの!?」ってなるわけよ。これじゃ、むしろ手間が増えるだけ、って感覚。

妻が本当に求めているのは、「手伝うよ」という、上から目線にも聞こえかねない一声ではなく、「自分が主体的に、家庭運営の一部を担う」という意識と、それに基づいた行動なのよ。指示を待つのではなく、自分で気づき、考え、動く。それが、共働き夫婦が本当に平和に暮らすための、最初の一歩なんじゃないかなって、由香里さんの話を聞いて改めて痛感したわ。

「手伝うよ」の呪縛を解き放つために

由香里さんのエピソードを通して、「手伝うよ」がなぜ地雷と化すのか、その奥にある「名もなき家事」と、無意識の役割分担の問題が見えてきたわよね。でも、これって夫婦関係にとって、かなり危険なサイン。このモヤモヤを放置しておくと、小さな不満が積もり積もって、いつか大きな亀裂になってしまうかもしれない。

じゃあ、どうしたらこの呪縛から解放されて、共働き夫婦がもっとハッピーに、そして対等に家事育児を分担できるようになるんだろう?私が伝えたいのは、シンプルだけど、めちゃくちゃパワフルなメッセージ、たった一つ。

「当事者意識」こそ、全てのカギ

そう、「当事者意識」。これに尽きるわ。夫側からすれば、「手伝う」という意識から卒業して、「自分も家庭運営の当事者である」という意識を強く持つこと。妻側からすれば、その「当事者意識」を夫が持てるように、そして自分自身も、全てを抱え込まずに、時には手放す勇気を持つこと。

夫が「手伝うことある?」ではなく、例えば、キッチンで妻が夕食の準備を始めたら、自然と子どもの相手をするとか、テーブルの片付けを始めるとか。浴室に入ったら、ついでに排水溝の髪の毛を拾っておくとか。洗濯機が止まったら、自分が率先して干すとか。

こういう「私がやるべきこと」ではなく、「私たちが共に暮らす上で必要なこと」として捉え、自ら気づき、行動する意識こそが、共働き家庭に必要な「当事者意識」なの。指示されなくても、言われなくても、全体を見て、自分ができることを見つけて、動く。それは、仕事におけるプロジェクトマネジメントと全く同じよね。自分の担当範囲だけをこなすのではなく、プロジェクト全体の成功のために何が必要か、今誰が何をすべきかを考え、行動する。

もちろん、これは夫だけの問題じゃない。妻も、「私が一番よくわかってるから」と全てを抱え込まず、夫に「当事者」として任せてみる勇気も必要よ。最初はうまくいかないかもしれない。それでも、任せることで夫は「自分で考える機会」を得て、徐々に「当事者意識」を育んでいくことができるから。

この「当事者意識」が夫婦の間で共有されれば、「手伝う」という言葉は自然と消えていくはず。そして、「ありがとう」という感謝の言葉が、日常のあちこちで飛び交うようになる。共働きだからこそ、お互いが「共同経営者」として、自分の持ち場だけでなく、家庭全体のことを自分ごととして捉える。これこそが、夫婦関係を深め、家庭を円滑に回すための、唯一無二の解決策だと私は信じてる。

さあ、今日から「手伝うよ」は封印して、「私はこれをするね」から始めてみない?夫婦の会話と行動が少し変わるだけで、日々のストレスが減り、もっと笑顔で過ごせるはずだから。

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