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共働きなのに、なぜ?親の介護で夫婦仲が壊れる”沈黙の理由”

ブログ

共働き夫婦の「理想と現実」

突然の介護宣告が、夫婦の絆を蝕む時

現代を生きる私たちは、仕事も家庭も充実させたいと願う。二人で稼ぎ、二人で子育てし、二人で未来を築く。それが「共働き」という生き方だ。でも、その強固なはずの共同戦線に、ある日突然、見えない亀裂が走ることがある。

「親の介護」。

この言葉を聞いた瞬間、多くの人が「まだ先の話」とか「自分たちには関係ない」と蓋をする。でも、その「まだ先」は、案外あっけなく目の前に現れる。そして、それまで順調に見えていた夫婦関係が、まるで砂上の楼閣のように崩れ去る現実を、どれだけの夫婦が知っているだろう?

収入は増えたはずなのに、なぜか心は貧しくなる。キャリアも子育ても頑張ってきたのに、夫婦の会話は減り、笑顔は消える。共働きなのに、なぜ?この問いに対する答えは、誰も教えてくれない「沈黙の理由」の中に隠されているのかもしれない。私たちは、その重い扉を今、開こうとしている。

日常を蝕む「沈黙の介護」

始まりはいつも突然、そして曖昧

「介護なんて、まだまだ先の話でしょ?」

多くの共働き夫婦が、そう思っている。バリバリ仕事をして、子どもたちの送迎に走り、夜には疲労困憊でベッドに倒れ込む毎日。その頭の中に、「親の介護」というリアルなイメージが入り込む隙間なんて、どこにもない。しかし、その“まさか”は、突然、音もなくやってくる。そして、私たち夫婦がこれまで築き上げてきた、盤石だと思っていた関係性の足元を、静かに、確実に削っていくのだ。

認知症の兆候、突然の病気、転倒による骨折――。きっかけは様々だ。最初は「ちょっと手伝う程度」のつもりだったのに、気づけばそれが日常となり、やがて「自分たちの人生」を侵食し始める。そして、最も厄介なのは、その変化が水面下で進むため、夫婦のどちらも、それが決定的な「亀裂」に繋がっていることに、すぐには気づかないということだ。

ケーススタディ:高橋夫妻(仮名)が見失ったもの

これは、私が取材で出会った、とある共働き夫婦の話だ。

高橋裕也さん(仮名、42歳)と明希さん(仮名、40歳)は、都心で暮らし、それぞれが専門職として高収入を得ていた。小学校低学年の子どもが二人いて、裕也さんは外資系企業の管理職、明希さんはフリーランスのウェブデザイナーとして、文字通り「理想の共働き夫婦」を絵に描いたような生活を送っていた。もちろん、夫婦仲も良好。定期的にデートに出かけ、子どもの教育方針も共有し、家事も外注サービスを上手に活用しながら、忙しいながらも充実した日々を送っていた。

彼らの生活に、ある日、ひびが入り始めたのは、裕也さんの実家で暮らす母親(70代)が、軽い認知症の兆候を見せ始めたことだった。最初は「物忘れがひどくなったね」というレベル。月に一度、実家を訪れるたびに、わずかな変化に気づく程度だった。しかし、ある日、ガスを消し忘れて危うく火事を起こしそうになった、という連絡が親戚から入った。事態は一気に深刻化した。

裕也さんは長男だ。弟もいるが、遠方に住んでいるため、必然的に裕也さんの責任が重くなる。明希さんも最初は「大変だね」と夫に寄り添い、週末には子どもたちを連れて実家へ行き、母親を励ます手伝いをした。ケアマネジャーの選定、デイサービスの申し込み、病院への付き添い。共働き夫婦にとって、それらは全て、これまで仕事や子育てに充てていた貴重な時間からの捻出だった。

特に負担が大きかったのは、緊急時の対応だった。夜中に母親から意味不明な電話がかかってくる。徘徊しかけて保護されたと警察から連絡が入る。そのたびに、裕也さんは仕事を中断し、明希さんも子どもの面倒を見ながら不安に苛まれた。

裕也さんは、とにかく「自分がやらなきゃ」という責任感に突き動かされていた。会社には有給を申請し、なんとか時間を作った。一方で、明希さんの心には、次第に「私ばかりが巻き込まれている」という不満が募っていった。フリーランスだから時間の融通が利くと思われがちだが、納期のある仕事をしている明希さんにとっては、急な呼び出しや予定変更は死活問題だった。

ある日、明希さんが夜中の電話対応で疲弊しきっているのに、裕也さんは「俺も仕事で疲れてるんだ」と寝返りを打った。それを見て、明希さんの心に冷たい風が吹いた。「この人、私のこと、何も見てないんだ」。

裕也さんは裕也さんで、「俺は長男だから」というプレッシャーの中で孤軍奮闘しているつもりだった。明希が文句を言っても、「俺だって好きでやってるわけじゃない」としか思えなかった。二人の間には、感謝の言葉も、労りの言葉も、いつの間にか消えていた。代わりにあったのは、互いへの無言の期待と、それが裏切られたときの失望だけだ。

週末のデートは介護の付き添いに変わり、夫婦の会話は、母親の状況やサービス利用の調整といった「事務連絡」に終始するようになった。かつては笑い声が絶えなかったリビングは、重苦しい沈黙が支配する時間が増えた。夫婦としての親密さは失われ、互いを「介護の共同作業者」としてしか認識できなくなっていったのだ。裕也さんも明希さんも、どこかで「こんなはずじゃなかった」と呟いていたが、その声は、もう互いには届いていなかった。

誰もが陥る「無自覚な罠」

高橋夫妻の話は、決して特別なケースではない。共働き夫婦の多くが、いつか直面する可能性のある「無自覚な罠」だ。

なぜ、こんなことになってしまうのか?共働き家庭は、日頃から時間的にも精神的にも余裕がない。そこに、予測不能で終わりが見えない「介護」という重荷が加わる。どちらか一方に負担が偏れば、不満が募るのは当然だ。しかし、もっと根深い問題は、夫婦間の「沈黙」にある。

「言わなくても、わかってくれるだろう」

「これくらい、当然のことだろう」

この誤った思い込みが、夫婦関係を蝕んでいく。仕事も家事も子育ても、そして介護も。全てを「完璧にこなさなければ」というプレッシャーが、心をどんどん疲弊させていく。そして、その疲弊した心は、パートナーへの感謝や労りを忘れてしまう。

私たちは、いつしか「二人で稼いで、二人で幸せになる」という当初の目的を見失い、ただ目の前の「タスク」を消化するだけの共同体になってしまう。介護は、物理的な労働だけでなく、精神的な負担が非常に大きい。その負担を「見えないもの」として放置し続けた結果が、高橋夫妻のように、夫婦の心に深い溝を作ってしまうのだ。この溝を埋めるためには、一体どうすればいいのだろうか?

沈黙を破り、関係を再構築する唯一の方法

「言えない」を「言い合える」関係へ

高橋夫妻のケースは、私たち共働き夫婦にとって、痛烈な警鐘だ。なぜ、これほどまでに愛し合っていたはずの二人が、介護という共通の課題によって、互いの心が離れていってしまうのか。それは、多くの夫婦が「沈黙」を選んでしまうからだ。

「疲れてるのに、これ以上負担をかけたくない」
「弱音を吐いたら、相手にがっかりされるかもしれない」
「言ってもどうせ変わらない」

そんな思い込みが、夫婦間のコミュニケーションを停止させ、心のすれ違いを加速させる。介護は、一人の問題ではない。夫婦二人で乗り越えるべき課題だ。そのためには、何よりもまず「沈黙」を破る勇気が必要だ。

解決策は、意外なほどシンプルだ。それは、「完璧主義を手放し、夫婦で本音を語り合う時間を作ること」。たったこれだけのことだ。

「完璧」からの解放が、夫婦を救う

私たちは、仕事も、子育ても、家事も、そして介護も、すべてを「完璧にこなさなければならない」という呪縛に囚われがちだ。特に共働き夫婦は、社会的な期待値も高く、自分たち自身にも高いハードルを課している。しかし、その「完璧」という幻想が、私たちを最も苦しめている。

介護は、完璧を目指せるものではない。イレギュラーの連続であり、終わりが見えないマラソンだ。だからこそ、夫婦でその現実を共有し、お互いの弱さや限界を認め合うことが重要になる。

「正直、もう限界だ」
「ごめん、今日は疲れて何もできない」
「もっと手伝ってほしい」
「私は今、これしかできない」

そんな弱音や本音を、安心して相手に伝えられる関係性。それが、介護という過酷な状況下で、夫婦の絆を守る唯一の盾となる。

そのためには、週に一度、たった30分でもいい。子どもが寝た後、二人で向き合い、スマートフォンを置いて、お互いの「今」を語り合う時間を作ろう。介護の状況報告だけでなく、お互いの感情、ストレス、不安、そして「何がしてほしいか」を具体的に伝え合うのだ。

「母親の介護で、正直、仕事に集中できなくて辛い」
「週末の介護で、二人の時間が全く持てないのが寂しい」
「家事の分担、もう一度見直せないかな?」

そうした具体的な要望や感情を、非難ではなく、素直な気持ちとして伝え合う。そして、相手の言葉を、ただひたすら「聞く」。否定せず、解決策を急がず、ただ「うん、そう思ってるんだね」と受け止める。この「聞く」行為が、相手の心をどれほど軽くするか。

そして、二人で「完璧じゃなくていい」と合意すること。時にはプロのサービスに頼る。時には兄弟や親戚に協力を仰ぐ。時には、夫婦二人の時間を優先し、罪悪感なしに休息を取る。共働き夫婦の強みは、その経済力と、互いに協力し合える「パートナー」がいることだ。その強みを、介護という困難な状況でこそ、最大限に活かすべきなのだ。

親の介護は、いつか必ず私たち夫婦の前に立ちはだかる現実だ。しかし、それが夫婦仲を壊す「沈黙の理由」になるか、それとも夫婦の絆を深める「対話の機会」になるかは、私たち自身の選択にかかっている。今こそ、勇気を出して、パートナーと向き合おう。そして、あなたたちの関係が、介護という試練を乗り越えて、より強く、より深く結びつくことを心から願っている。

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