リモートワークは本当に「救世主」だったのか?
理想と現実のギャップに潜む罠
「これでやっと、共働き夫婦は救われる!」
リモートワークが普及し始めた頃、そう胸をなでおろした人も少なくないでしょう。通勤時間がなくなり、子どもの送迎や習い事にも対応しやすくなった。家族で食卓を囲む時間が増え、夫婦の関係もより良好になるはず、と。
でも、本当にそうでしょうか?
「なぜか毎日疲弊している」「パートナーとの間に小さな摩擦が増えた」「家事育児の負担が、前より増えたような気がする」――そんなモヤモヤを抱えているあなた。その感覚は、決して間違いではありません。むしろ、そこには見えない”真犯人”が潜んでいる可能性が高い。
「効率化」の裏に隠された不都合な真実
リモートワークは、確かに私たちの働き方に大きな変革をもたらしました。しかし、その「効率化」という甘い言葉の裏で、共働き家庭の根深い課題を加速させている側面があるとしたら?私たちは一体、何を見落としてきたのでしょうか。この変革の陰で、一体何が起きているのか。その不都合な真実に、今こそ目を向ける時です。
リモートワークは、なぜ夫婦をすれ違わせるのか?
「夫が家にいる」という新しいプレッシャー
リモートワークが浸透し、夫が毎日家にいるようになった共働き家庭は少なくありません。最初は「これで家族の時間が増える」「家事育児の分担も進むはず」と期待に胸を膨らませた妻たちも、徐々に違和感を覚えるようになります。それは、「夫が家にいる」という、かつてなかった「存在」が生み出す、新たなプレッシャーでした。
ある共働き夫婦のエピソードを紹介しましょう。都内でIT企業に勤める大輔さん(仮名・30代後半)と、営業事務として働く由美子さん(仮名・30代後半)夫婦。小学生と保育園児の二人の子どもを育てています。コロナ禍を機に、大輔さんはほぼ完全リモートワーク、由美子さんは週数回の出社を伴うハイブリッド勤務に移行しました。
期待と現実の落差が引き起こす軋轢
リモートワーク導入当初、大輔さんは通勤ストレスから解放され、むしろ仕事の集中力が増したと感じていました。朝は満員電車に揺られることもなくなり、穏やかな気持ちで仕事に取り掛かれます。由美子さんも、夫が家にいることで、子どもの急な発熱や学校からの呼び出しがあっても、以前よりは安心感がありました。「いざとなれば夫が対応してくれるかも」という、淡い期待を抱いていたのです。
しかし、その期待はすぐに裏切られることになります。
まず、由美子さんの朝の負担が増えました。大輔さんはリビングで仕事をするようになり、由美子さんが子どもの朝食の準備をしていると、「ついでにコーヒー淹れてくれる?」と声をかけるようになりました。最初は「まあ、私が淹れるのは変わらないし」と気にも留めなかった由美子さんですが、それが毎日続くうちに、無意識のうちに自分のタスクが増えていることに気づきます。
さらに、由美子さんがハイブリッド出社の日。大輔さんは子どもの見送りこそしますが、由美子さんが帰宅する頃には、夕食の準備は手つかず。「僕はずっと仕事してたから」という大輔さんの言葉に、由美子さんは何も言えませんでした。そして、子どもの急な呼び出しがあった時も、「僕、今大事な会議中で抜けられないから、由美子さんが行ってくれる?」と、大輔さんが家にいるにも関わらず、結局由美子さんが対応することもしばしば。
大輔さんからすれば、「家にいるんだから、ちょっとは手伝ってるつもり」という意識でした。例えば、夕食後にゴミ出しをする、お風呂は自分が入れる時に子どもも一緒に入れる、といった程度です。彼は、「僕は仕事をしているんだから、これくらいで十分だろう」と思っていたのです。
一方、由美子さんは心の中で、「夫が家にいるから」という理由で、自分の仕事の合間に夫の昼食を準備したり、飲み物を運んだり、時には子どもの遊び相手を頼まれたりする頻度が増えていると感じていました。「夫が在宅している分、家事育児の”見えない負担”が増しているのに、なぜ、夫はそれに見向きもしてくれないのだろう」という不満が、由美子さんの心に徐々に積み重なっていったのです。
小さなモヤモヤが募り、爆発する瞬間
この小さなモヤモヤが、ある週末に爆発しました。
その日、由美子さんは平日の疲れが抜けきらない体で、週末のまとめ買い、作り置き、子どもの習い事の送迎、そして溜まった家中の掃除と、まるでフルマラソンを走るように動き回っていました。その間、大輔さんはリビングのソファで趣味のオンラインゲームに没頭しています。子どもの声が聞こえても、画面から目を離そうとしません。
由美子さんは、ふと、自分ばかりが動き回り、夫は家にいながら一切助けてくれない状況に、怒りとも諦めともつかない感情が込み上げてきました。
「ねぇ、少しは手伝ってよ!家にいるのにゲームばっかりなんて、ありえないでしょ!」
由美子さんの声は、疲労と憤りから、いつもより少し震えていました。
大輔さんは、ヘッドホンを外し、驚いた顔で由美子さんを見つめます。「え?でも平日もリモートで仕事してるし、土日はゆっくりしたいだろ?それに、僕はゴミ出しもしてるし、お風呂も入れてるじゃないか」彼は心底、由美子さんの怒りの理由が分からなかったのです。
由美子さんは、夫の言葉に愕然としました。
「それだけじゃないでしょ!私があなたのお昼ご飯用意したり、子どもの急な対応、全部私がやってるじゃない!あなたが家にいるからって、私が見えないところでどれだけ気を遣ってると思ってるの!?」
大輔さんは絶句しました。彼は、自分が在宅勤務になったことで、由美子さんの負担が減ったとすら思っていたのです。この瞬間、二人の間に横たわる、家事育児の「認識のずれ」が浮き彫りになりました。リモートワークという変化が、夫婦間の役割分担のバランスを崩し、見えない形で由美子さんの負担を加速させていたことに、彼らは初めて気づいたのです。
このエピソードは、決して特別な話ではありません。リモートワークという働き方の変化が、共働き夫婦の間に、予想もしなかった「時限爆弾」を仕掛けていたのです。
リモートワークが加速させる「見えない格差」の正体
物理的距離と精神的距離のパラドックス
大輔さん夫妻のエピソードが示すのは、リモートワークが単なる「場所の変更」ではない、ということです。それは、夫婦間の役割分担や期待値、そして「当たり前」の定義を根底から揺るがす、強力な変化の引き金になり得るのです。夫が物理的に家にいることで、「何か手伝ってくれるはず」「いざという時には頼れる」という妻側の期待は、必然的に高まります。しかし、夫側は「自分は仕事をしている」という大義名分のもと、従来の家事育児の責任範囲を超えて動こうとしない。この乖離が、見えないモヤモヤとなり、精神的な距離を広げていきます。
「家にいるんだから、ついでにこれも」という妻の心の声と、「仕事中だから、後で」という夫の思考。このすれ違いが日常化することで、リモートワークは、共働き夫婦にとっての「時限爆弾」となり、「真犯人」として家事育児格差を加速させてしまうのです。目の前にいるからこそ、相手の「仕事」が見えにくくなり、「怠けているのでは」という誤解を生みやすくなる。オフィスなら遮断されていたはずの家庭の雑音が、仕事の集中を妨げ、そのストレスがまた家庭へと跳ね返ってくる、という負のループに陥ることも少なくありません。
「共有された時間」と「共有された責任」の誤解
リモートワークは、「共有された時間」を増やしたように見えます。しかし、それは決して「共有された責任」を意味しません。むしろ、曖昧な役割分担のまま物理的な距離が縮まることで、その曖昧さが顕在化し、責任の押し付け合いや、一方的な負担増へと繋がってしまうのです。これが、リモートワークが共働き家庭の家事育児格差を「加速させる”真犯人”」たるゆえんです。
「時限爆弾」を解除する、たった一つのシンプルな答え
「当たり前」という呪縛からの解放
では、この「時限爆弾」を解除し、リモートワークを真に共働き夫婦の「救世主」に変えるにはどうすればいいのでしょうか。複雑な家事分担表や、緻密なタスク管理ツールを導入する前に、まず夫婦で取り組むべき、たった一つのシンプルな答えがあります。
それは、「当たり前」という呪縛から解放されることです。
「私がやるのが当たり前」「夫は仕事をしてるんだから、手伝えないのが当たり前」。こうした無意識の「当たり前」を、一度ゼロベースで疑ってみること。そして、それぞれの「当たり前」を言語化し、共有することです。
「何が負担に感じているのか」「何を望んでいるのか」「何ができないのか」。
感情論ではなく、事実ベースで、冷静に、具体的に話し合う。そして、夫婦それぞれの「ストレスポイント」を明確にし、そこにどうすればアプローチできるのかを対話する。相手の「仕事」が見えにくい環境だからこそ、お互いの状況を積極的に開示し、「今、自分はこういう状況で、これができない(できる)」と伝え合う勇気が求められます。
私たちは、もっと「ずるく」なれる
完璧な分担を目指す必要はありません。大切なのは、お互いの「当たり前」を可視化し、今の共働き家庭の現実と向き合い、納得できる「新しい当たり前」を二人で創り上げること。それは、時には家事を「しない」と決めることかもしれませんし、外部サービスに頼る「ずるさ」を身につけることかもしれません。
リモートワークは、私たちの働き方に革命をもたらしました。その変革を、夫婦関係の危機にしないために。今こそ、その変化が家庭にもたらす影響を直視し、夫婦で新たなルールを再構築する時です。この「時限爆弾」を、二人の絆を深めるチャンスに変えるかどうかは、私たち自身の意識にかかっています。

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