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夫の「やったつもり」が妻を壊す。共働き家庭の家事分担、根本的に間違ってない?

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はじめに:その「優しいつもり」が、妻を追い詰めてない?

夫の「手伝うよ」が、なぜ妻のイライラの原因になるのか?

共働き家庭にとって、家事分担って永遠のテーマだよね。でも、そのテーマ、本当に「解決済み」って言える人、どれくらいいるんだろう?

夫が「やったつもり」になっている家事。それって、実は妻にとって「やらせてる」家事になってない?多くの妻が抱えるこのモヤモヤ、もう見て見ぬふりはできないはず。

今日は、私たち共働き夫婦が直面している家事分担の「根深い問題」に、本気で切り込んでみたいと思います。表面的な「手伝い」じゃ、もう限界。もっと本質的な、夫婦のチームワークとしての家事分担について、じっくり考えてみませんか?「私が全部言わなきゃダメなの?」って思ってるそこのあなた、一人じゃないから安心して。一緒に、その根深いモヤモヤの「正体」を探っていこう。

夫の「やったつもり」が、なぜ妻を「無力感」に陥れるのか?

「手伝う」という言葉の、見えない重み

「ゴミ出しは俺の担当だから」
「お風呂掃除は俺がやってるよ」
「食洗機回したから」

夫が自信満々にそう言う時、妻の心の中では密かに、「はぁ?」という声が響いていないだろうか。夫にとっては「やった」ことになっている家事も、妻から見れば「いや、それ、終わってないから」とか「そこまでやって、ようやくスタート地点だから」なんてことが、日常茶飯事なんじゃないかな。

多くの共働き家庭で、「家事分担」って言葉が一人歩きしている気がする。夫は「俺も手伝ってる」と胸を張るけれど、その「手伝う」という言葉自体が、すでに妻の精神的負担になっていること、意外と気づかれていない。だって、「手伝う」ってことは、その家事の「責任者」はあくまで妻、って前提があるじゃない?夫は「お手伝いさん」か「バイト」、妻は「社長」みたいな構図が、知らず知らずのうちに出来上がってしまっている。

この見えない「責任」と「マネジメント」の重みが、妻たちをじわじわと追い詰めていく。夫が「これやったよ!」と笑顔で報告するたびに、妻は心の中で「その続き、私がやらなきゃいけないんだよね…」とため息をついている。これが、共働き家庭の家事分担に横たわる、一番根深い問題なんじゃないかと思う。

「名もなき家事」というブラックホール

私が先日取材した、共働きで小学生と保育園児の2人のお子さんを持つ田中美咲さん(仮名)と、ご主人の健太さん(仮名)のご夫婦の話は、まさにこの「やったつもり」が引き起こすジレンマを象徴していた。

美咲さんが言うには、健太さんは「ゴミ出し」を自分の担当だと決めて、週に2回の燃えるゴミの日に必ずゴミ出しをしてくれるらしい。これだけ聞けば、「え、いい旦那さんじゃない?」と思う人もいるかもしれない。でも、美咲さんの不満はそこじゃないんだ。

「夫はゴミ出しをしてくれるんですけど、あくまで『ゴミ収集場所まで持っていく』ことが彼の仕事だと思ってるんです。だから、ゴミ箱がパンパンになってても、自分で新しいゴミ袋をセットすることはない。生ゴミの汁が垂れてるのを拭いたり、ゴミ箱の底が汚れてたら洗ったり、なんてことは一切しない。ペットボトルとか牛乳パックのリサイクルゴミも、私の分別の指示を待って、ようやく重い腰を上げる感じ。結局、ゴミの分別ルールを確認して、汚れた容器を洗って乾かして、自治体指定のゴミ袋にまとめて、パンパンになったら新しい袋をセットして…っていう『ゴミ出し準備』の全工程は、全部私なんです」

美咲さんの言葉には、疲労と諦めが混じっていた。健太さんからすれば「ゴミ出しは俺が担当!」と胸を張れることなのに、美咲さんから見れば「ゴミ出しの”最終工程”だけやってる」に過ぎないのだ。

他にも、美咲さんの話は続いた。
「食洗機を回すのは夫の仕事なんですけど、食洗機に入れる前の軽く汚れを落とすとか、食洗機から出した後の食器を拭いて棚に戻すのは私の仕事。洗濯機を回して乾燥機に入れるのも夫の担当なんですけど、畳むのはもちろん、家族それぞれの引き出しに入れるのは私の仕事。子供をお風呂に入れるのは夫の担当だけど、着替えの準備や、上がった後の保湿、翌日の保育園の準備は私。夫は『やった』って顔をしてるけど、その前後の『名もなき家事』が、結局全部私に降りかかってくるんです」

美咲さんの声は次第に熱を帯びていった。
「私が何もしなくても、夫は『今日は家事が終わった!』って満足げにソファーでテレビを見てる。その横で、私は『まだ何も終わってないよ…』って、見えない家事の山に呆然とするんです。言えばやってくれることもあるけど、言って初めて動く、ってのがもうストレスで。私が”家事の司令塔”でいなきゃ、家は回らない。でも、司令塔って、指示を出すだけで疲弊するし、誰かに感謝されることもないじゃないですか。むしろ、私が完璧に指示しないと『なんで教えてくれなかったんだ』って言われることすらある。この孤独感が、本当に辛いんです」

美咲さんの話を聞いていて、胸が締め付けられた。健太さん自身も、良かれと思って「ゴミ出し」をしていたはずだ。しかし、彼の中での「ゴミ出し」の定義と、美咲さんの中での「ゴミ出し」の定義に、あまりにも大きな乖離があったのだ。そして、その乖離を埋める役割を、美咲さんが一方的に担わされてしまっている。これでは、どんなに夫が「手伝って」も、妻の負担は減らないどころか、精神的な疲弊だけが積み重なっていく一方だ。

「指示待ち」では、もうチームじゃない

この美咲さんのエピソードから見えてくるのは、「家事分担」の本当の課題は、単に「量を分ける」ことじゃないってこと。もっと根源的な問題は、家事の「責任」と「主体性」にある。

夫が「やったつもり」になる家事の多くは、実は家事の「一部」を切り取ったものだったり、言われたことだけをこなす「指示待ち」の状態だったりする。でも、共働き家庭の家事は、夫婦で「チーム」として取り組むべきものだ。チームのメンバーが、それぞれ自分の持ち場を「責任を持って完遂」する意識がないと、誰か一人が全てのマネジメントを担うことになってしまう。

それが、妻の「無力感」を生む。「私しか見てない」「私が言わなきゃ誰も気づかない」「結局、私が全部やらなきゃいけないんでしょ?」という絶望感は、夫婦の関係性までも蝕んでいく。夫の「やったつもり」が、妻の心に深い傷を残し、夫婦間の信頼を少しずつ破壊していく。この悪循環から抜け出すためには、私たち夫婦が、もっと深く、根本的な家事の捉え方について見つめ直す必要があるんだ。

「やったつもり」を卒業して、本当のチームになろう

夫よ、「手伝う」を「完遂する」に変えよう

田中美咲さんのエピソードを聞いて、多くの共働き夫婦が「うちも同じだ…」と感じたはず。夫は悪気なく「やったつもり」になっている。でも、その「やったつもり」の裏側で、妻がどれだけの「名もなき家事」と「精神的マネジメント」を担っているか。これが、夫婦関係のひずみを生み、共働き家庭の幸福度をじわじわと下げている根本原因だと、私は強く感じる。

「手伝うよ」という言葉は、優しい響きに聞こえるけれど、その内実は「私が司令塔だから、あなたの指揮を待っています」と妻に言わせているに等しい。これでは、妻の「責任」は一切軽減されないどころか、「指示を出す」という新たなタスクまで増えてしまう。

もう、夫は「お手伝いさん」や「バイト」を卒業する時だ。妻の「社長業」をいつまでも長引かせるのは、夫婦関係にとっても、家庭の健全な運営にとっても、決して良いことじゃない。

では、どうすればこの「やったつもり」の呪縛から解放され、本当の意味での家事分担が実現できるのだろうか。シンプルだけど、すごく大切なこと。それは、「家事の最終ゴール」を夫婦で共有し、そのゴールに到達するまでの「全プロセス」を、それぞれが自分の「担当業務」として捉えること。

つまり、夫がゴミ出しを担当するなら、「ゴミ収集場所まで持っていく」で終わりじゃない。ゴミ箱のゴミをまとめ、新しい袋をセットし、ゴミ箱が汚れていれば拭く。リサイクルゴミなら分別し、洗って乾かし、指定の場所へ出す。これが「ゴミ出し」という家事の「完了形」だと、夫婦で認識を合わせるのだ。

そして、一度「担当」と決めたら、妻からの「指示待ち」になるのではなく、自ら進んで「気づき、判断し、実行する」こと。妻が家事の「全体像」を常に把握し、夫のタスクを細分化して指示を出す手間を、一切なくすこと。それができれば、妻は「指示役」という重荷から解放され、夫は「自分の担当を全うする」という責任感と達成感を得られる。

これは、夫婦がお互いを信頼し、対等なパートナーとして家庭を運営していく上での、最低限のルールなんじゃないだろうか。

「本当のチーム」になるための、たった一つの覚悟

共働き家庭にとって、家事分担はもはや「助け合い」のレベルを超えている。それは、夫婦が共に築き上げる「生活基盤」そのものだ。

「夫が手伝ってくれない」と嘆く妻。
「俺もやってるのに」と不満を持つ夫。
このすれ違いの根源は、「家事の完了形」への認識のズレ、そして「責任」の所在の曖昧さにある。

この悪循環を断ち切るには、夫婦それぞれが、自分の担当する家事に対して「オーナーシップ」を持つこと。つまり、「これは自分の仕事だから、最初から最後まで責任を持ってやり遂げる」という覚悟を持つことだ。

妻は「私が言わなきゃダメ」という諦めを捨てて、夫が「言われなくても気づき、行動する」パートナーになれると信じること。
夫は「言われたことだけやればいい」という思考を捨てて、自分が担当する家事の「全工程」と「最終ゴール」を常に意識すること。

共働き家庭の家事は、夫婦それぞれの「やったつもり」で成り立つものではない。
互いに「やり遂げた」と胸を張れる状態を、どれだけ増やせるか。
「やってくれてありがとう」と心から感謝し合える関係を、どれだけ築けるか。

今こそ、夫婦で本気で話し合い、家事の「完了形」と「担当」を再定義する時だ。
それはきっと、あなたの家庭が「本当のチーム」として機能し始める、最初の一歩になるはずだ。

夫の「やったつもり」が、もう二度と妻を壊さないように。
そして、夫婦が笑顔で、共に未来を築いていけるように。
あなたたちの家庭は、今、その変革期を迎えているんじゃないだろうか?

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